【インタビュー】吉田 明子さんに聞く「人類を幸せにする気候変動政策、エネルギー政策とは⁈」
人類を幸せにする気候変動政策、エネルギー政策とは⁈
〜気候変動問題の行きつく先は「気候正義」
延長線上にある社会格差や人権との整合性こそが重要〜
世界73ヵ国に約200万人のサポーターを有する Friends of the Earth International のメンバー団体として、1980年から日本で活動をスタートさせたFoE Japan(以下:FoE)は、地球規模での環境問題に取り組む国際環境NGO。学生時代からFoEと関りを持ち、いまや理事として活躍する吉田 明子氏が、これまでのプロジェクトの経験から気候変動政策とエネルギー政策の現在地と、今後のアプローチの指針となる「気候正義」について語る。
吉田 明子 さん
国際環境NGO FoE Japan 気候変動・エネルギー担当・理事
2007年より国際環境NGO FoE Japanスタッフ。気候変動やエネルギー政策を中心に担当。2015年からは市民のちからで再エネ選択を呼びかける「パワーシフト・キャンペーン」を立ち上げる。エネルギー政策に市民の声を届ける観点で活動する。
「京都議定書」が採択された高校時代に
「地球は持たない」と実感し、歩みが始まる
―― まずは、いつごろから気候変動に関心を持ち、どのような経緯でFoEを拠点にアクションをされるようになったかについて教えてください。
吉田 いつ頃から、というと難しいのですが、私が高校生だった頃に日本でもテレビなどを通じて、環境問題に関する報道が頻繁に取り上げられるようになっていました。その背景には、1997年12月に京都市で開かれたCOP3において「京都議定書」が採択されたことがあったからだと思います。約160ヶ国から多くの関係者が参加し、二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素(亜酸化窒素)、ハイドロフルオロカーボン(HFC)、パーフルオロカーボン(PFC)および六ふっ化硫黄(SF6)の6種類の温室効果ガスについて、先進国の排出削減について法的拘束力のある数値目標などを定めたこの文書は、気候変動問題に関する中長期的な目標を掲げたという点で、1つのマイルストーンになったといわれています。ただし、当時の私はまだ、京都議定書を深く理解しようという段階ではありませんでした。それでも、報道を通じて「このままじゃ、地球は持たない。できることからやろう」と、ごく普通の素人感覚で受け止めていました。
高校時代に感じた問題意識は薄れることがなく、大学では環境問題や環境政策に関する講義を積極的に選択。また、第2外国語でドイツ語を採ったことも、興味・関心を深めるきっかけとなりました。いまもそうですが、当時のドイツが環境先進国として注目を集めていたからです。自然とその動向を探るようになっていた頃、FoEがドイツへの視察ツアーを企画して、そこに申し込んだのがFoEとの最初の接点となりました。
―― ツアーに参加したことをきっかけに、FoEに関わるようになっているわけですか?
吉田 結果的にはそういうことになりますが、大学3年になると周りが就活の一環としてインターンシップに参加し始めます。私もどこか環境問題でインターンができるところがないかと探していたら、偶然にもFoEを見つけたのです。オフィスが大学からそう遠くもなかったこともあり、早速、門戸を叩きました。で、インターン採用となって、夏休みに集中的に、その後は週に1~2日くらいの頻度で手伝っていました。当時の私はドイツかぶれでしたから、最初はその領域を研究しているスタッフのサポートをするのが、楽しくて仕方がありませんでした。
同時にその頃、FoEは「脱使い捨てプロジェクト」というのを展開していて、私はそこにも投入されました。最近なって、グリーンピースなどがスターバックスをはじめとする小売店における容器などの使い捨て問題を取り上げるようになっていますが、実は20年も前からFoEはそこに目を向けていたのです。キャンペーンの際には主にコーヒーチェーンやファーストフードチェーンをターゲットにアピール活動を行い、ほとばしる元気でそこに加わったことは鮮明に覚えています。
使い捨て容器に着目した当時のFoEも先進的でしたが、世界にはもっと先を行く取り組みを実施している国がありました。お隣の韓国です。まだ正式なスタッフになる前でしたが、「韓国スタディツアー」に参加させてもらい、その実情を知った時は「目から鱗」でした。韓国ではホテルやコンビニなどを含めて、使い捨て用品を無料で配布することを禁ずる法律が制定されていたのです。しかも、その法律は市民、とりわけ女性の働きかけによって生まれたといいます。キャンペンーンを繰り広げていた際に、「全面的に止めさせることは難しいだろう」と考えが過っていたので、まさに衝撃的だったと同時に、私のアクションへの情熱を掻き立ててくれました。大学卒業後は一旦、民間企業に就職したのですが、2年半ほど経過した2007年にFoEがスタッフを募集していることを知り、躊躇することなく転職を決めました。
―― スタッフとして環境や気候変動の問題に本格的に取り組んでいかれることになったわけですが、具体的にどのようなテーマに挑まれたのでしょうか?
吉田 ドイツの環境政策研究と脱使い捨ての経験があったことから、最初はこの2つをテーマにスタッフとしての活動をスタートさせました。正式採用後、1年経った2008年から「Make The Rule」という新しいプロジェクトが始まります。環境問題に取り組む日本のNPO/NGOが集結して「気候変動に関する法律を作ろう!!」という一大プロジェクトで、気候ネットワークとFoEが事務局を担いました。2年目の私も事務局メンバーに抜擢され、環境政策に興味を持っていただけに、大きな期待を胸に取り組みました。
私にとっては、これが気候変動問題という切り口で真剣に向き合った最初のプロジェクトとなりました。250名が連なって渋谷をパレードしたのも、素敵な思い出です。振り返ると、その頃にあって気候変動をテーマにそれだけの規模のパレードができたこと自体、画期的だったと思います。
残念ながら、このプロジェクトは2010年に幕を閉じます。政治情勢も厳しく、現実的とはいえない法制化への動き以外にやるべきことがあるはずだという判断でした。ただし、心の中では誰もが「諦めたくない」と思っていたに違いありません。それが現在、FoEも実行委員団体として参加している「ワタシのミライ(https://watashinomirai.org/)」のような動きに繋がっていったような気がします。
「3.11」の福島原発事故を経験した
日本における気候変動の現在地とは⁈
―― 2011年に福島原発事故が起り、日本でもエネルギーシフトの機運が高まりましたが、「気候変動の現在地」はどこにあるとお考えでしょうか?
吉田 福島第一原発事故以降はてんやわんやの状態で、あらゆる活動をしている人たちが、「エネルギーシフト」、「脱原発」を掲げて結集することとなります。そういった動きから、「eシフト(http://e-shift.org/)」と呼ばれる脱原発・新しいエネルギー政策を実現するネットワークが誕生しました。まさしく大きな渦が巻き起こったわけで、私も始めて原発反対デモに参加し、9月になってからですが福島にも行きました。
この流れは単なるムーブメントではなく、気候変動やエネルギーに関する国民的な議論へと発展していきます。2012年には「国民としての政策提言をしていこう!!」という機運が高まり、パブリックコメントを出して声を可視化することに注力。これがある程度反映されて、政府の「2030年代に原発ゼロ」という方針が決まったのです。いま思えば、凄いことだったと思います。
この方針はその後、政権交代により白紙撤回されてしまうのですが、そのことは悔やんでも悔やみきれません。で、その厳しい状況のまま、いまに至っているというのが日本の「現在地」です。
―― 能登半島地震もまた、原発の問題を孕んでいますよね。「珠洲(すず)原発」は、市民の根強い反対運動によって建設が阻止されましたが、予定地となっていた地域は今回の地震で壊滅的な被害を受けています。もし原発が実現していたら……、と考えるとゾッとします。
吉田 石川県には志賀(しか)原発もあって、その周辺も震度7が観測されています。当然、住民は被災し、周辺の道路も寸断されました。福島原発事故の2011年度以降、1号機・2号機とも運転を停止していますが、再稼働の動きがあったことも事実です。そもそも志賀原発では専門家から活断層が指摘されていて、それが今回、不幸なカタチで改めて証明されてしまいました。私はその分野の専門家ではありませんが、「やっぱり」という思いは強いですね。
いずれにしても、日本は地震大国で、あらゆる場所に活断層が走っています。その意味では、すべての原発が例外ではないのです。にもかかわらず、あまり報道されていないことには首を傾げざるを得ません。被災はあったものの大事には至らなかったということで、国民の側も大きな危機感を抱いていないようですが、政府が昨年発表したGX(グリーントランスフォーメーション)では、改めて原子力を強く推進していこうという方針が示され、原発を再稼働させる流れが明確になってきています。それだけに、私はいまこそ、危機感を募らせるべきだと切に思います。
とはいえ、政府の計画通りに原発の再稼働や建設が進むとは思えません。福島原発事故の経験により、多くの国民が高いハードルを課すようになっているからです。志賀原発の事実を真摯に受け止めて、改めて市民が大きな声をあげる機運を高めていきたいと考えています。
気候変動は複合的な地球課題
「気候正義」という観点こそが重要になる
―― 災害時に、最もつらい思いをしているのは社会的弱者と呼ばれる人たちです。その意味で、気候変動の影響や負担・利益を公平・公正に共有し、人権的な視点から弱者の権利を保護する「気候正義」という観点が、これからますます問われていくのではないでしょうか?
吉田 FoEもそうですが、私自身も気候変動問題に取り組み中で、特に気候正義という観点を重視してきました。残念ながら、現在の社会そのものが格差に満ち溢れ、マイノリティーといわれる人たちが生きづらい状況にあることは、事実として捉えなければなりません。ジェンダー、経済、教育、入管や難民を含めた外国人の問題など、指摘されている格差問題は枚挙にいとまがありません。確かに気候変動だけにフォーカスするならば、いわゆる「1.5°C目標」に整合するCO2の削減とか再生可能エネルギーの割合を高くするといったことは当然です。しかし、そこだけに留まっていては「格差の上に成立する社会」から脱却することはできません。気候変動政策を考えていく際には、そこが重要なポイントになります。
例えば、国と地域、大企業と市民、先進国と後進国といった関係をそのままにして、数値目標だけを達成しようとすると、さまざまな弊害が生じます。実際に先進国が後進国の森を伐採して、自分たちのバイオマス発電のために輸入していたり、「森林を守る」という名目のもとに、先住民たちが暮らす土地を囲い込んだりといったことが起きています。
―― そういった二律背反する状況を解消するには、どうしたらいいのでしょうか?
吉田 地域主導で再生可能エネルギーを推進していくことも、気候正義に向き合い得る選択肢の1つではないでしょうか。化石燃料や原子力に依存したこれまでのエネルギーは、いわゆる中央集権的というか、巨大資本のもとに地方が負担を担うという構造の上に成り立ってきました。しかし、再生可能エネルギーはそういった社会構造を逆転させる可能性を秘めていると考えています。大きなコストを掛けなくてもできるので、そこに地域やマイノリティーの人たちが主体となれる可能性というか、チャンスがあるエネルギーだと思うからです。
――やはり、気候変動問題を格差や人権の問題を含めて、セットで考えていくという発想が必要になるというわけですね。
吉田 ヨーロッパではすでに公営住宅においても、そういった政策が進められています。公営住宅に断熱や自然エネルギーといった「エコの技術」を積極的に取り入れ、性能向上を図ることで、気候変動に対応しつつ、低所得者の人たちの光熱費を削減し、健康や快適性を担保しようというわけです。当然、これを実現するためには膨大なイニシャルコストが発生しますが、ヨーロッパでは長期的な視点から、メリットの方が大きいと考えているようです。私はこの話を日本の政治家にも伝えているのですが目の前のイシューとしては写っていないのでしょう。なかなか理解してはくれません。
さらに日本の低所得者においては、民間の古いアパートに住んでいる人たちが圧倒的に多いという深刻な問題があります。古いアパートのリフォームや建て替えが、コストの観点からも容易ではないことは想像に難くありません。それだけに、ヨーロッパの公営住宅の事例を参考に、さまざまな長期的なシミュレーションのもとに、投資への理解、制度の構築を促していくことが重要になると実感しています。
「パワーシフト・キャンペーン」を通じて、
消費者目線でエネルギー政策を問う
――再生可能エネルギーの普及推進という観点では、「パワーシフト・キャンペーン」に深く関わられていますが、ここでは何を担おうとされているのでしょうか?
吉田 2015年からスタートしたこのキャンペーンが掲げる目標は、「消費者視点で再生可能エネルギーを選ぼう」ということです。ここでいう消費者には、企業・団体・自治体も含まれており、政府の視点が大手電力寄りになっていることからも、多様な視点で議論を重ねることで、これまでとは異なる政策に反映させていこうとしています。特に今年から来年にかけては「エネルギー基本計画」の見直しが行われるとのこと。それだけに現在は、そこに対して気候正義の観点を含めて提言したり、情報発信することに注力しているところです。
――自治体においては、量的・コスト的課題から再生可能エネルギーの調達が難しいという声も聞こえてきます。その点については、どうお考えでしょうか?
吉田 再生可能エネルギーを重視して調達している新電力をWebサイトやSNS、イベントをはじめとするさまざまな手段で積極的に紹介して、大手の独占・寡占状態になっている状況を打破していこうというのも、パワーシフト・キャンペーンの大きなねらいの1つです。確かに大手電力と比較するとコスト高になるかもしれませんし、調達も大変かもしれません。しかし、その一方で「ゼロカーボンシティ宣言」をする自治体も増えていて、現時点で約半数にのぼる自治体が宣言をしている状況は見逃せません。当然、そこでは目標達成がミッションとなりますので、コストや供給量に問題があってもやらざるを得ないわけで、希望の兆しが見えつつあります。ただし、話は戻りますが、単なる数値目標の達成だけでは、新たなリスクが生まれかねません。やはり、気候正義を踏まえた取り組みにしていくことをアピールし続けていきたいと考えています。
若い世代との価値ある連携・連帯へ
「子どもの人権」からの気候変動アプローチ
―― 気候変動問題においては、未来を担う若者の存在も重要だと思います。その意味で、「ワタシのミライ」には「Fridays For Future」をはじめ、若者を中心とする多くの団体も参加しています。そういった若者たちの存在をどのように感じていらっしゃいますか?
吉田 つい最近、「ワタシのミライ」のシンポジウムが開催されて、多くの若い世代の発言を聞いてきましたが、とにかくパワフルなんですよね。私も力を与えてもらっています。そもそも特定の世代、上の世代だけで運動を続けていくこと自体、限界があるわけです。その意味では、若い世代によって運動に多様性がもたらされることを期待してやみません。とはいえ、専門的な知識・知見を蓄積する上では、それなりの時間が必要です。また、福島原発事故直後に根底のところで共有できていた価値観が、世代の隔たりや運動スタイルによってここ10数年の間で大きくなってしまった感は否めません。ただ、環境問題や気候変動、パワーシフトと少しずつ言葉やニュアンスが違っていても、全体としては盛り上がりを見せていることも確かです。それだけに、いまこそお互いの良さを認め合って、世代を超えた連携・連帯を模索していくタイミングなんじゃないかとも思っています。まずは私たちの世代の方から、若い世代の人たちともっと重なれるような創意工夫をしていきたいところですね。
―― 「エネルギー基本計画」への提言においても、若い世代の意見を取り入れていく必要がありますよね。
吉田 当然、そう考えていますが、「エネルギー基本計画」では経済産業省ががっちりと政府と業界の両脇を固めているので、そう簡単に崩れそうもありません。特に与党の人たちは気候変動への関心が低く、再生可能エネルギーについてもネガティブな捉え方をしている人が少なくありません。そこに突破口を拓こうとするならば、やはり若い世代を含めて地域の力を結集して、地元の議員との対話を地道に積み重ねていくしかないと考えています。すぐには結果に表れないでしょうから、長期戦になるのは覚悟の上です。
若い世代の意見を政策に反映させていくという観点では、もう1つの論点があります。国連の中に「子どもの権利委員会」という、1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」の実施状況をチェックしている機関が設けられています。ここでいう「子ども」とは、成人になっていないすべての人たちを意味しています。その「子どもの権利委員会」から、2023年8月に「気候変動に焦点をあてた子どもの権利と環境に関する一般的意見26」というのが発表されました。そこでは、気候変動や環境破壊によって子どもたちの人権が侵害される恐れがあるとして、各国政府に対策を講じるべきとする意見が出されています。そこには法的拘束力はないものの、日本も「子どもの権利条約」に批准している国として、何らかの対策を取らなくてはいけないはずです。同時に2022年6月には、与党主導で「子ども基本法」が成立し、2023年4月に施行されました。ここには子どもや若者が関係する政策について情報を得て、社会の様々な活動に参加し、意見を表明できる機会を与えるということが明記されています。ところが、現状の気候変動、とりわけエネルギー政策においては、まったく反映されていないのが現状です。それだけに、ここを起点に国や政府に投げ掛けて、動かしていきたいとは考えています。