【声明】多様性と少数者の人権こそ民主主義の試金石―選択的夫婦別姓の導入を

2015年12月17日
緑の党運営委員会

 

 昨日12月16日、最高裁判所大法廷は、夫婦の別姓を認めない規定が「婚姻の自由などを保障した憲法に違反する」との訴えを退け、「憲法に違反しない」という初めての判断を示しました。この判断は、個人、特に女性の人権や多様化する家族のあり方を正しく尊重せず、夫婦同姓の強制によって主に女性が不利益を受けてきたことをはっきり認識しながら、「(夫婦同姓は)社会に定着している」「家族の呼称を一つにするのは合理的」などとして正当化したもので、私たちはこれを不当だと考えます。

 注目すべきなのは、最高裁裁判官15人のうち、女性裁判官は3人だけで、その全員が違憲と判断(他に2名が違憲の判断)したことです。女性裁判官3人は連名で意見を出し、「女性の社会進出は著しく進み、結婚前の名字を使う合理性や必要性が増している。96%もの夫婦が夫の名字を名乗る現状は、女性の社会的、経済的な立場の弱さなどからもたらされている。妻の意思で夫の名字を選んだとしても、その決定過程には、現実の不平等と力関係が作用している」と指摘しました。そのうえで、「多くの場合、女性のみが自己喪失感などの負担を負うことになり、両性の平等に立脚しているとはいえない。今の制度は結婚の成立に不合理な要件を課し、婚姻の自由を制約する」として、夫婦別姓を認めない現在の規定を憲法違反だと、強く訴えています。

 結婚の成立に不合理な要件を課している、というのは、憲法において結婚が「合意のみに基づいて成立」するはずなのに、現行の民法のもとではどちらか一方が、ときには意志に反して姓を変えなければ結婚できなくなっている、ということです。今回の多数派の判断でも「現状では妻となる女性が不利益を受ける場合が多いと思われるが、旧姓の通称使用で不利益は一定程度、緩和されている」とされています。これは、不利益が存在すること、旧姓の通称使用を行っても不利益がかなり残ることを認めたものにほかなりません。同じ日、最高裁は、女性のみに180日の再婚禁止期間を定めた民法733条を違憲と判断しましたが、夫婦同姓を強制する民法 750条も、実質的には圧倒的に女性に改姓を強いるものであって、その違憲性は民法733条と同様であると言えます。

 裁判所は「制度の在り方は国会で論じられ、判断されるべきだ」としました。しかし、国会がまともにこの問題に対応してこなかったために、この裁判が起こされていることは、判事たちもよく理解しているはずです。選択的夫婦別姓を支持した裁判官のひとりが指摘したように、既に1996年に法制審議会が夫婦別姓を認める民法の改正案を出したにも関わらず、いまだに法律が改正されていないのは、約20年も国会が立法措置を怠ってきたという事実を示すものです。この状況下で、不利益を被っている人びとの救済のために、国会に民法改正の措置を取るよう強く促すのが司法を担う最高裁の本来の役割です。

 原告や私たちが求めているのは、全ての家族が夫婦別姓とすることではなく、ましてや現在大半の夫婦が同姓を選択していることの否定ではありません。あくまで例外的に「別姓を選択できる」自由であり、たとえ「標準ではない」「少数派」の生き方を選んでも、不利益を被ることのない多様性を認める社会のあり方です。最高裁判断の「(夫婦同姓は)社会に定着している」、「家族の呼称を一つにするのは合理的」との指摘が正しければ、ほとんどの家族は同姓を選択するはずで、大きな問題は生じないはずです。諸外国の例を見ても、夫婦同姓が法で強制されている国はほとんど存在せず、また別姓を認めたことで混乱が生じたり、ましてや「家族の絆」が僅かでも弱まったという例は確認されていません。多様な夫婦・家族のあり方を認めてゆくことが、世界の流れです。現在、日本では別姓を選択するひとは少数ですが、その少数者の人権が守られることこそが、この国に民主主義が浸透しているかをはかる試金石なのです。

 前述の通り、女性判事3人は全員が違憲との意見でした。もし最高裁判事の半数が女性であれば、違憲とする意見が多数を占めていた可能性も考えられます。今回の最高裁判断は、判事の大多数が男性であるということも問題の一端であり、これは、議員の大多数が男性であるという問題とも通底しています。

 私たち緑の党は、党内の役職の半数以上を女性とするクオータ制を設け、2013年参院選においても候補者の半数を女性としてきました。私たちは今後も、選択的夫婦別姓をはじめ、多様な夫婦・家族のあり方が認められる社会の実現に向け、地域や自治体でも活動を続けます。同時に、国会に対し法改正を強く求めるとともに、その実現のため、国政の議席獲得を目指し、挑戦を続けます。

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