【世界のみどり】ドイツの脱原発をけん引した緑の党

4月15日、ドイツでは運転していた残り3基の原発が停止され、ついに脱原発が達成されました。

歴史的な瞬間に至るまでの道のりを振り返ってみたいと思います。

1980年、環境保護を訴える市民は反原発を掲げる緑の党を立ち上げ、3年後に連邦議会議員(日本での国会議員)を誕生させました。

その後、1986年にチェルノブイリ原発事故が発生し、ドイツの国土も放射能で汚染される事態となりました。高まる反原発の世論を追い風に、1998年、ドイツ緑の党は連立政権入りを果たしました。
この、社会民主党と緑の党からなるシュレーダー政権下で、2002年6月、原子炉の稼働年数を32年に限る「脱原子力法」が施行されました。

その後、原発の稼働年数が延長可能となる「ゆりもどし現象」も見られましたが、2011年の福島第一原発事故の発生で、ドイツの人びとは再び脱原発への声を高め、時のメルケル首相(キリスト教民主同盟)に2022年中の脱原発を決意させました。

同時に、ドイツでの異常気象、洪水発生によって「気候危機」への関心が高まり、昨年2022年に緑の党は再び連立政権入りを果たしました。
一方で、ロシアのウクライナ侵攻による影響でエネルギー価格高騰にあえぐドイツでは、脱原発の延期を求める世論が高まりを見せています。

そんななかでも、緑の党のロベルト・ハーベック連邦経済・気候保護大臣は脱原発の英断をし、ついに2023年4月15日の脱原発の日を迎えました。

ドイツ緑の党のエネルギー政策(※1)には次のように書かれています。

「私たちは原子力の段階的廃止を完了しつつあります。最高の安全基準、可能な限りの透明性、国民の参加のもとに、処分場を見つける合意に従い、全力で取り組んでいます。既存の原子力発電所の解体は、最高レベルの安全性のもとで一刻も早く、遅滞なく実施されなければなりません。
グローナウ・ウラン濃縮工場とリンゲン核燃料組立工場を一刻も早く閉鎖したいと考えており、EUでも脱原発を推進していきます。」

「ドイツ国内の原発の停止」にとどまらず、核施設やEUでの脱原発をけん引しようとしているドイツ緑の党にあらためて敬意を表します。

緑の党グリーンズジャパンは、談話「ドイツでの『脱原発』実現を受けて」(※2)のなかで表明したように、ドイツの仲間たちの奮闘に学びながら日本の脱原発の実現と気候危機対策の推進に取り組んでいきたいと思います。

【参照】
(※1)ドイツ緑の党ウェブサイト>エネルギー政策ページ (Wir steigen um – komplett auf grüne Energien)
https://www.gruene.de/themen/energie より自動翻訳したものを抜粋

(※2)【緑の党談話】ドイツでの「脱原発」実現を受けて
https://greens.gr.jp/seimei/33162/

【参考】
ドイツはなぜ「脱原発」ができたのか(ジャーナリスト熊谷 徹)
https://imidas.jp/jijikaitai/d-40-081-11-12-g423

ドイツ国民の過半数が脱原子力に反対する2つの理由(ジャーナリスト熊谷 徹)
https://news.yahoo.co.jp/articles/44c1e4d43026391f8e0903b1c77a1a37901fefea?page=1