世界の100の国や地域で活動している「緑の党」は、国益よりも地球益を求め、国際的な連携を重視する国際組織「グローバル・グリーンズ」(2001年発足)を結成しています。
緑の党グリーンズジャパンは、「グローバル・グリーンズ」とその地域組織である「アジア太平洋緑の党連盟」(2005年発足)に加盟し、世界の緑の仲間と共有する「グローバルグリーンズ憲章」の理念に基づき、「緑の社会ビジョン」実現するために活動しています。
□ グローバル・グリーンズ: https://globalgreens.org/
□ アジア太平洋緑の党連盟(APGF): https://asiapacificgreens.org/
□ グローバルグリーンズ憲章(日本語訳版): https://greens.gr.jp/about/intro/charter
□ 緑の社会ビジョン: https://greens.gr.jp/about/vision/
世界のみどり最新情報
世界の「みどり (Greens)」と私たち
市民運動から生まれた政党
「緑の党」は1970年代にオーストラリアやニュージーランドで産声をあげ、その後ヨーロッパ各地で結成され、80年代から90年代にかけて世界中に広がりました。「政党」とはいってもこれまでの政党とは違って市民運動がベースになっています。集権化やヒエラルキー化、効率をもとめる既存政党とは違い、共同代表制、組織内民主主義の徹底、企業献金の拒否、男女間の公平性、地方分権のネットワーク型組織などを特徴としています。現在では世界約1020120の国や地域に緑の党があり、何千人という地方議会の議員や国会議員が存在しています。
「みどり」は国境を越える
国益よりも地球益を求め、国際的な連携を重視する緑の党と運動体は国際組織「グローバル・グリーンズ」を結成しています。2001年、オーストラリアのキャンベラで開催された第1回グローバル・グリーンズ大会には世界70カ国の緑の党・運動体が集い、日本からは約40名が参加しました。この大会の最大の目的は、「みどり」の人々のアイデンティティを明確にして進むべき方向を指し示すために「グローバル・グリーンズ憲章」を制定することであり、日本からの参加者もこの議論に積極的に加わりました。
非暴力をどう貫くか
この大会で、平和と安全保障の条項について、大量虐殺などを防ぐための武力行使を認めるべきかどうかが大きな議論となりました。これはコソボへの空爆をめぐって、当時、連立政権に参加していたドイツの緑の党の中でも大激論となったテーマです。結局、憲章には日本などの提案により国連による武力行使に参加しない権利に言及する修正が加えられました。この年の9月11日の同時多発テロをきっかけとして米国のアフガニスタン攻撃、イラク戦争など、世界では暴力に暴力で対抗する流れが加速したことを考えると、非暴力を掲げる世界の「みどり」が紛争の未然防止や平和構築のために説得力ある提案をする力をつけなければならないことを痛感します。
アジア太平洋地域でも
2005年には、23カ国27団体から約100名、国内から約300名の参加を得て「アジア太平洋みどりの京都会議」を主催し、ヨーロッパ、アメリカの地域に続いて、「アジア太平洋グリーンズ・ネットワーク」を設立しました。緑の党が国政に議席を有するのはオーストラリア、ニュージーランド、バヌアツだけというアジア太平洋地域において、相互に連携し合いながら地球温暖化、エネルギー問題、安全保障などの共通の課題に取り組み、「みどり」の政治勢力を拡大していこうとするものです。
脱原発を決議
2008年、ブラジルのサンパウロに約90カ国から約800人が集って第2回グローバル・グリーンズ大会が開催され、当時の「みどりのテーブル」から17名が参加しました。この大会では日本と台湾緑の党が共同提案した脱原発に関する決議案が満場一致で採択されています。これは前年7月に中越沖地震によって柏崎刈羽原発で起きた深刻な事故の事例など、地震多発地帯に多くの原発を擁する日本の危険な状況を訴え、温暖化対策を口実に原発を推進しようとする世界の流れに警鐘を鳴らすものでした。
世界で躍進する緑の党
1997年から2002年まで連立政権に参加したフランス緑の党は週35時間労働制、同居する同性カップルにも異性カップルと同等の法的保護を与えるPACS制度(民事連帯契約)の導入などの成果を上げました。また、1998年から2005年まで連立政権に加わったドイツ緑の党は、環境税の導入、再生可能エネルギーの振興、有機農業の推進、それに2022年までに国内の原発を廃止することを決めるなど、環境政策を推し進めました。その後の保守政権は原発延命策に転換しましたが、2011年3月の福島第一原発の事故後、バーデン・ヴュルテンブルク州で初の緑の党の首相が誕生するなど、各地で緑の党が躍進したこともあり、ドイツ政府は再び2022年までに全原発を廃止することを決めました。オーストラリアでも国政選挙の度に緑の党が議席を増やしてキャスティングボートを握るまでになり、2011年7月には、地球温暖化防止のための炭素税導入決定の牽引役を果たしました。
2009年の欧州議会選挙で躍進した緑派の議員は現在56名となっており(第4番目の会派)、小選挙区での議席獲得は極めて困難とされていたイギリスやカナダでも、それぞれ2010年、2011年に初の国政の議席を獲得しています。また、ニュージーランドでは2010年首都ウェリントン市で初の緑の党の市長が誕生し、イギリスのブライトン市議会でも2011年5月の地方選で緑の党が初の第1党となるなど、世界各地で緑の党の躍進が続いています。
へこたれない「みどり」の人々
世界で最も著名な緑のリーダーは、2011年9月に亡くなったワンガリ・マータイさんでしょう。彼女は2001年の第1回グローバル・グリーンズ大会でグローバリゼーションにさらされるアフリカの現状を力強いスピーチで訴え満場の拍手を浴びました。環境活動家として、1977年に植林によるグリーンベルト運動を始めたマータイさんは、環境破壊を止めない政府や巨大企業に抗議活動を行って、数度の逮捕、投獄を経験。それでも2002年に国会議員となり、2003年から環境・天然資源・野生動物省の副大臣を務め、ケニア緑の党を設立。2004年にノーベル平和賞を受賞しました。彼女のへこたれない生き方、ねばり強い行動力は世界中の「みどり」の人々に共通するものです。世界が閉そく感の中で立ちすくんでいるかに見える今、へこたれない「みどり」の人々こそが未来を切り拓いていけるのです。
(渡辺さと子/2012緑の党全国協議会委員・国際局)