【インタビュー】川﨑彩子さんに聞く『「気候正義」が掲げる公平性の視点から、「気候変動」と「脱原発」の交差点に立つ』

「気候正義」が掲げる公平性の視点から、「気候変動」と「脱原発」の交差点に立つ
在留外国人が370万人を超えた中で、参議院議員選挙では「日本人ファースト」を掲げた党が議席を伸ばし、自民党の総裁選でも「外国人問題」が争点になりました。埼玉県の川口市議会では収容所の新設を含めた外国人の取り締まり強化を求める国への意見書が可決され、地域に暮らすクルド人たちへのヘイトが深刻化しています。日本が排他主義に向かう構造とは? 多文化共生社会を実現する鍵を、移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)共同代表理事の鳥井一平さんに聞きました。

川﨑 彩子さん
気候アクティビスト/原子力資料情報室職員
2002年北海道生まれ。明治学院大学国際学部国際学科卒業。⼤学の授業で気候変動に危機感を覚え、環境NGO FoE Japanのシンポジウムに参加。「気候正義」の考え方に共鳴し、活動を始める。2021年よりFridays For Future(FFF)のメンバー。2024年8⽉に提訴された若者気候訴訟の原告でもある。2024年に参加した韓国の気候正義⾏動と脱原発の交流会で、改めて「市民の力」を再確認。以来、韓国・台湾とも連帯しながら脱原発を訴え続けている。2025年4⽉より原⼦⼒資料情報室スタッフ。
(インタビューアー)
まにわ 尚之
江東区議会議員
1972年 東京都江東区生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業後、江東区社会福祉協議会に在職。以来、福祉畑一筋。2023年の江東区議会議員選挙に出馬して初当選。障がい者施設の職員をしながら、区政でも精力的な活動をしている。2009年から江東社会福祉士会 会長、東京社会福祉士会 権利擁護委員会 副委員長。
公平性を目指す私たちの取り組みは、
「反原発」ではなく、「脱原発」!!
―― FFFのメンバーで、「若者気候訴訟」の原告……。川崎さんと言えば「気候正義」のイメージが強いのですが、まずは活動を始めるようになったきっかけからお話いただけますか?
川﨑 私たちの世代は、小・中学校でも教科書で環境問題のことを習っているので、もともと海洋プラスチックや生物多様性の問題に関心を持っていました。ところが、大学1年の時に文化人類学者で環境・文化アクティビストでもある辻信一先生の授業を受けた時に、「関心を持っているだけじゃダメなんだ」と気付いたんです。「私たちが乗っている船は、前に氷山があるのが分かっているのに、猛スピードで突き進んでいる」といった言葉が胸に刺さり、気候変動がどれだけ深刻で、かつタイムリミットが迫っているかを再認識しました。義務教育で習った温暖化が表層的だったのに対して、具体的でしかも対策がなされているどころか、むしろ状況が悪化していることに衝撃を受けたんです。
そこで、自分でもっと勉強しようと思い、FoE Japanのシンポジウムに参加しました。それで「気候正義」って言葉に接したんです。東南アジアの活動家が「私たちの国は、気候変動に影響を与えないような暮らし・生活をしている。なのに、真っ先に影響を受けている」とリアリティがある言葉で語っているのを聞いて、「気候変動ってこんなに不平等なんだ」ということを理解したんです。
一方、日本に暮らす自分は高校・大学とで一応不自由なく学んでいる。そういう状況にいる自分だからこそ、「何かやらなきゃいけない」と強く思ったものの、実際には自分だけでは何をどうしたらいいか分からない。そこで、同じ若者たちが意識を持って活動しているFFFに参加しました。

FFFでの活動
―― 現在は原子力に頼らない社会を実現するために活動している団体である「原子力資料情報室(CNIC)」のスタッフとして、「脱原発」の活動にも注力されていますね。「気候変動」から「脱原発」へと向かっていった理由を教えてください。
川﨑 当時、気候変動問題の緩和にフォーカスしていたFFFの活動では、原発に関して直接的に議論する機会はそんなに多くはありませんでした。私も、安全性や、電気料金に「原発の維持・建設に係るコスト」が含まれていることの矛盾など違和感を感じていたものの、「原発」に関するスタンスはまだまだ曖昧でモヤモヤしている状態でした。
そんななか、活動を通じてFoE JapanとかGreenpeace JapanといったNGOと一緒に行動する機会が結構ありました。原子力資料情報室もその1つで、そういった「原発も気候危機もない公平な社会を築くために一緒にやっていこう」というネットワークに参加するようになりました。
その頃の私は、「原発推進が気候変動対策を遅らせることになる」ということは頭の中では理解していたつもりでした。なので当然、「反対」でしたが、具体的に反証できるような意見を持ち合わせていたわけではありませんでした。それが「原発はNG」という周囲の人たちの話を聴き、背中を見ているうちに、私の中の絶対軸だった「気候正義」と「脱原発」が整合性・親和性を持って徐々にではありますが、自然に繋がっていったんです。
「気候正義」の考え方は、単にCO2を出すか出さないかとか、どういう発電方法を選択するかといったエネルギーの問題を超えて、そこに内包されている「不平等」をなくすこと。その意味で原発問題もまた、「不平等・人権侵害」を引き起こしていることに気が付いたのです。これを契機に「脱原発」の気持ちも大きくなっていきます。
ところが、若い世代のグループが周囲にはありませんでした。核兵器廃絶の問題だと広島・長崎をはじめ、若い世代が中心になって引っ張っているグループが全国にありますよね。ところが東京で「脱原発」の活動をしたいと考えた際に、小さい時に原発被害の当事者として避難を経験した方の講演活動には接することはできたものの、グループとして声をあげている同世代になかなかな出会うことができませんでした。そこで、ここは自分自身が「同世代の仲間が参加できる場を作る番だ」と思い立ち、原子力資料情報室に入って脱原発運動に注力するようになったわけです。
※原子力資料情報室:https://cnic.jp/
―― 若い世代はやはり「反原発」ではなく、「脱原発」なんですね。原発に関する活動をする中で、世代による温度差を感じることはありますか?
川﨑 確かに時代背景などによる違いはあると感じています。上の世代の方々は「3.11」の危機的な状況に緊迫感を持って活動されてきたわけですし、さらに上の世代は原発の建設そのものに異を唱えることをイシューにされてきました。そこでは「反原発」っていう柱がすごく重要で、そこに共感できる人たちが集まっているというイメージがあります。
一方、私が感じる限りでは、同世代で問題意識を持っている人たちは「原発を止めたい」、「そのために連帯したい」というよりも、もっといろんな問題の繋がりを意識しているように思います。例えば、福祉や気候変動などといったさまざまなイシューとの繋がり……。若い世代はこのような一言では表現しづらい多様な問題をクロスさせて考える「交差性(Intersectionality)」を大事にします。つまり、連帯の数や規模よりも、お互いをケアしながら安全に話し合いができる場作りに重きを置いているのです。こういった違いはあるような気がしています。
―― 川崎さんが環境問題からスタートして、さまざまな活動をしながら原発問題にたどり着いたのも「交差性」に立脚しているのですね。原子力資料情報室では現在、どのような活動をされているのですか?
川﨑 情報室では分野を決めて専門的なリサーチをしている研究職のスタッフがいますが、私はまだ研究するところまで原発の知識が追い付いていないので、いまはイベントの企画運営や、現場に赴いてのフィールドワークが中心です。福島には二度行きましたし、青森の六ヶ所村などの原発立地地域の方々からお話を聞くことで感じたこと、分かってきたこともたくさんあります。
また、韓国・台湾で活動している同世代の人たちと会って話をする機会をいただいて、原発との交差性に関する見識も深まりつつあります。以前から「さよなら原発アクション」などで発言することはありましたが、いまようやく自分の中での原発問題がきちんと整理され始めてきた感じです。
韓国・台湾から学んだ
「脱原発」運動
―― 韓国・台湾に行かれて感じたことを教えてください。まずは韓国に行かれた経緯から。
川﨑 「核も原発もないアジア」を目指す「NNAF(No Nukes Asia Forum)」というアジア各国のNGOで構成される緩やかなネットワークがあって、毎年、参加国が集まって大会が開催されています。その日本グループであるNNAF JAPANのメンバーが、20代、30代の方を助成金で大会に連れて行きたいと考えていて、「気候危機、気候変動対策のために原発は必要か」というテーマで共同通信が私を取材した記事を見つけて声を掛けてくれたんです。
私が参加したのは、韓国で毎年9月に3万人くらいがソウルに集まって行われている「気候正義行進」というアクション。脱原発がメインというわけではなく、他の問題も並列的に扱っており、たくさんの団体のブースが並んでいて、いろいろコミュニケーションを取りながら、最後にみんなでデモに向かうイメージです。

参加した韓国でのアクション
―― 韓国では、原発運動や若者たちの考え方に違いを感じましたか?
まぁ、流れ自体は日本のアクションと似てるところもあるんですが、私は2つの違いを感じました。1つは気候変動や原発だけではなくて、「公平性」を軸に多種多様な団体が集っていること。アニマルライツの団体、女性の人権を考える団体、性の権利を追求する団体をはじめ、一見、「気候正義」と結び付きそうもない団体を含めて、それぞれのイシューに「交差性」を見出していました。規模の大きさもさることながら、これほど幅広いイシューで団体・個人が集まる集会・デモを経験したことがなかったので、とても新鮮でした。
もう1つは、運営側のメンバーを含めて参加者の多くが若い同世代であったこと。実行委員長・副実行委員長も多分20代か30代ぐらいだと思います。団体のブースを覗いても若い世代が圧倒的に多くて、海外に来たにもかかわらず、アウェイ感をまったく感じませんでした。日本の集会・デモで、同世代がいなくて居心地の悪さを感じたことあっただけに、これもまた目から鱗でした。
―― 台湾ではどのようなことを感じましたか?
川﨑 台湾では2011年の福島第一原発事故を契機に「脱原発」の機運が高まり、政権と市民が一体となって「脱原発」に取り組み、国民投票を経て2025年5月17日を最後に稼働する原発が「ゼロ」となっています。そんなアジアで初めて脱原発を実現した台湾で開催された2025年5月のNNAFに参加してきました。
まず、台湾電力の本社前で「原発ゼロ」のお祝い集会がありました。そこでは、スピーチや音楽とともに、大スクリーンに数10年にわたる悲願への歴史と変遷が映し出されており、私の前に座っていた台湾と日本の参加者が涙を流して抱き合い、喜びを分かち合う姿を目の辺りにすることができました。
また、フォーラムにおける各国の活動家からの報告も、興味深い内容ばかりでした。特に台湾で原発の国民投票が行われた2018年からプロジェクトを立ち上げ、原発立地地域の人々の声を調査し続けてきた活動家の指摘は刺激的でした。その方は文化人類学の研究者でもあるのですが、「社会的廃炉(Social Decommissioning)」という言葉を使って「廃炉には発電所や廃棄物についてだけでなく、社会や人々の感情も含めたより広い影響も含まれる」と示唆。改めて、住民の声を可視化することの重要性を実感できました。
また、日本の参加者からは、「止めてくれて本当にありがとう」という発言もありました。政府の「原発輸出政策」のもとに、日本が多くの国々の原発建設に携わってきた責任を重く受け取ったからに他なりません。ところが日本では、反対運動を展開している団体を含めて、脱原発をどちらかというと国内問題として扱っています。しかし、決してそうではないことは、この発言からも明らかです。それだけに、今後、私が原発問題に取り組んでいく際にも、大きな指針にしていきたいと考えています。
※台湾で開催されたNo Nukes Asia Forumの様子
―― 台湾も韓国と同様、若者たちがリーダーシップを取り始めているという感じでしょうか?
川﨑 若干、イメージが違うような気がします。台湾では、私にとってはおじいちゃん、おばあちゃん世代だと感じる方たちの姿も見かけました。ご存知の通り、台湾には1947年に当時の国民党政権が政治的な抗議活動を弾圧するために台湾全域に戒厳令を発し、1987年に解除されるまで38年間にわたって続いた歴史があります。その中で地道に民主化運動を続けてきた世代が脱原発においても重要な役割を担い、そこに若い世代が加わり、世代を超えて連帯しできたことが、「原発ゼロ」につながったのではないでしょうか。
ユースのみで意見交換を行ったワークショップでは、若い世代ならではの視点に立脚した議論が活発に展開されていました。その1つとしてクローズアップされていたのが、「原発問題にはジェンダーの観点が十分に反映されていない」という指摘。これについては、日本でもまだまだ、運動経験が豊富な高齢シス男性の声が大きいですよね。実はこのことが、原発運動から若い世代を遠ざけている要因の1つかもしれないと実感しました。世代を超えて足並みを揃えることの大切さを含めて、韓国・台湾から学ぶことはまだまだたくさんありそうです。
「3.11」を知らない子どもたちと
「原発ゼロ」を喜び合える世の中へ
―― 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではありませんが、日本では「3.11」の記憶が薄れ始め、電力供給への懸念から原発再稼働の動きが顕在化しつつあります。これについてはどうお考えですか?
川﨑 実は台湾でも、電力不足への懸念から再稼働への動きがあったそうです。日本でも政権によってこれまでの政策が大きく歪められることが少なからずありますが、台湾の場合はそれが顕著なようで、実際に再稼働へ向けての国民投票も実施されました。その結果、再稼働への賛成票が過半数を超えたものの、既定の3分の2に達しなかったことから、今回は再稼働が見送られることになったようです。何とか「原発ゼロ」が保たれたことに、台湾で出会った人たちは安堵の表情を浮かべていました。
この国民投票に当たっては、政治家や環境団体の代表が登壇する公聴会や討論会が活発に行われ、その様子はYouTubeでも公開されたそうです。この内容について後ほど検証してみまたわけですが、台湾における再稼働推進派のオピニオンリーダーたちが「日本の動向」を例に出して世論を形成しようとしていることに気が付きました。「3.11で甚大な被害を受けた日本だって再稼働に向かっているじゃないか!!」というわけです。これは恐ろしいことだと思いました。それだけに、何とかいまの流れを変えなくてはなりません。改めて、日本の責任の重さを痛感しました。
―― とはいえ、原子力村と呼ばれるような地域には、経済的な利権を持つ人たちがいて、「原発がなくなったら、地域が崩壊してしまう」みたいな危機感を醸成し、地域を二分してしまっています。この風潮を打ち破るのは容易ではないように思えます。このことを、若い世代としてどう捉えていますか?
川﨑 「原発をとめた人びと=奥能登・珠洲 震源地からの伝言=(七沢 潔著・2025年11月 地平社刊)」という本には、地域の状況が詳細に描かれています。2024年1月の能登半島地震で被災した珠洲市を舞台に、既定路線だった原発の立地計画を撤回させた住民たちの取り組みを再現したノンフィクションです。特に印象的だったのは、まさに震源地となった場所での建設が撤回されたにもかかわらず、「原発がなくてよかったね」という言葉は交わせなかったという記述。台湾で抱き合って喜んでいた姿に遭遇してきただけに、原発を巡っての地域の分断が亀裂を残し続けていることにショックを受けました。
最近になって柏崎刈羽原子力発電所がある新潟県に2回ほど足を運び、運動に関わっている方から話を聴いて、その想いはさらに強くなりました。運動そのものは同じ思いを持っている地域の仲間同士が集っているだけに、和気あいあいとしていて楽しそうな一面もあるんです。だけど、実際の日常は脅かされていて、自分の生活を半分投げ打ってでも運動しなければならない状況があることを目の辺りにしました。
―― 原発に限らず、日本の社会では「分断」はいろいろなところで起きていて、民主主義の根源にある「対話」が成り立たなくなっていることも確かです。その中で、「気候正義」とか「交差性」といった若い世代の人たちの考え方は柔軟性を包含しているように感じています。その辺りから、現状を打破することはできないでしょうか?
川﨑 私は25歳になってFFFでは年長になってきていますが、「3.11」が起きた時はまだ10歳。北海道の伊達市で暮らしていたので、大地震を肌で感じることもなかったんです。FFFには10代のメンバーもいるので、「3.11」はもっと遠いところにあるのかもしれません。大人として、親として「3.11」の脅威に直面した人たちとは、やはり感じ方に温度差はあるでしょう。でも、記憶がない、薄いということは、良くも悪くも新たに捉えられるということでもあると思うんです。「3.11を知らない子どもたち」が間違いなく増えていく中で、よく知らないっていうところからスタートできるのは、ある意味で大切なのかなとも感じています。
例えば、現在の脱原発運動は多くのケースで、「3.11」が起点となっているわけです。そのような現状認識は確かに大切ですが、時間の経過とともに人々の意識が風化していく中にあっては、訴えても伝わらないという状況も生まれつつあります。それだけに、「3.11」を経験・体験として共有できていない私たちの世代には、もっと違うアプローチがあるのでは?という認識が必要です。例えば、気候変動の問題はますます切羽詰まっていますが、それと同時に「将来をどう考えるか?」ということに立脚する必要があります。このままなら、後から生まれてくる世代になればなるほど、そのリスクと影響を受けるからです。
であるならば、対話や議論を通じて、将来のビジョンというか「在るべき姿」を構想することが大事になります。こういった指針があれば、どうやって達成できるかをということを、例え立場が違っても1人ひとりが試行錯誤できるはずです。「脱原発」においても、むしろ知らないことを武器にして、将来視点で取り組んでいかなければならないのが、次代を生きる私たちだと考えています。
―― 現在視点で問題解決を図るフォアキャスティングだけではなく、将来視点からのバックキャスティングのアプローチが必要というわけですね。
川﨑 実際には、その両方が必要なのでしょう。ただ、現在視点だけだとどうしても「賛成か反対か」という議論になりがちですよね。実際に原発再稼働については、推進派がエネルギー不足への懸念という観点に絞り込んで、「現実的な解決策」という言葉を使って再稼働を容認させようとしていますが、これは根本的な解決にはなりません。逆に「将来がどうあるべきか」をテーマにすれば、諸説紛紛にはなるでしょうが、推進派・反対派を含めて議論できるような気がします。問題はこのやり方では、すぐに結論が出ないということ。それだけに、気候変動対策、脱原発に遅れが生じることへの焦りもありますが、対話も議論もない状況で物事が決められることは避けたい。 それだけに対話のための土俵づくりは避けて通れないと思っています。ここは、世代を超えて実現したいですね。
―― 具体的には、どうやって実現していこうと考えていますか?
川﨑 例えば、原発立地地域を訪ねると、一生懸命に署名活動をしていたり、住民投票に向けて準備を進めている姿にいつも頭が下がる思いになります。残念なのは、そういった努力の積み重ねで出た結果が、必ずしも報われていないということです。原発再稼働については賛否両論があることは承知していますが、対話すらなられていないという現状には大きな危惧を抱いています。よりリスクを背負うのは将来世代。当事者が議論の場を持つことができ、自分たちの意思を国や行政に伝えることができるように、首都圏の私たちも声を上げていくべきだと思います。
―― 今後の展開を考えても、韓国や台湾をはじめ、アジアの人たちと繋がった意義は大きいのではないでしょうか?
川﨑 そうですね。国内の原発を再稼働させないことも大切ですが、もっとグローバルな視点で「脱原発」を考える機会を得たことは、私にとって大きな糧になっています。そのためにも、積極的に意見交換・情報共有を図り、それを日本の中にフィードバックしていくつもりです。そういった発信を通じて、国内外を問わず、さまざまなイシューに取り組んでいる人たちと一緒に、「交差性」を育んでいきたいと切に願っています。



