【インタビュー】瀬戸 大作さんに聞く 「反貧困」は、多様な社会運動との連携をめざす

反貧困ネットワークは、日本社会において拡大する貧困問題を解決するために活動する団体や個人を結び付ける社会的ネットワーク団体。2007年10月に任意団体として活動を開始以来、常に生活困窮者に寄り添う活動を展開してきました。しかし、「直面する問題と向き合うだけでは貧困は解決しない」との意を強くした事務局長の瀬戸大作さんは、多様な社会運動との連携を踏まえて構造的に捉えていくことの重要性を指摘します。貧困問題を通じて瀬戸さんが感じてきた「社会の構造的矛盾」を探ります。

一般社団法人 反貧困ネットワーク

専務理事・事務局長
瀬戸 大作 さん
19762年 神奈川県生まれ。パルシステム生活協同組合連合会職員として、神奈川ゆめコープ事業本部長、連合会事業部長などを歴任。この間、福島原発被害者の救済を求める全国運動「避難の協同センター」の事務局を担う。2020年には「反貧困ネットワーク」の事務局長として、「新型コロナ災害緊急アクション」の呼び掛け、雇い止めなどにより困窮する人たちを支援。現在も、日本社会における貧困問題の解決を目指して精力的な活動を展開している。

(インタビューアー)
東京都都議会議員・緑の党グリーンズジャパン共同代表
漢人 明子
1960年静岡県生まれ。1983年より小金井市で保育者として働く中で、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故に衝撃を受け、市に食品の放射能測定室の設置を求める運動に参加。1997年に小金井市議会議員選挙に当選して4期16年務めた後、緑の党グリーンズジャパンの設立に携わり、2021年7月の第21回東京都議会議員選挙に無所属で立候補して当選。2022年4月より、共同代表。

コロナ禍後に顕在化してきた貧困第3波
「貧困」と「食」との密な関係を問う

―― 2008年のリーマンショック、2020年からの新型コロナウイルスを貧困の第1波・第2波とするならば、物価の急速な高騰に収まる気配が見られない現在の状況は、第3波といっても過言ではないと思います。まずは運動を通じて感じられている、貧困の現在地について教えてください。

瀬戸 米の価格高騰が社会問題化する中で、3月30日に、持続可能な農業への転換を求める全国の農家の人たちが、東京都港区の公園で「令和の百姓一揆」と銘打ったデモ・集会を開いたことは、ニュースなどでも報道されました。我々も参加しましたが、ここには農家だけではなく、米の高騰に不安を持つ若者や家族連れなど、消費者も多数参加していたのが印象的でした。その中で改めて思ったことは、「貧困」は「食」の問題と密接な関係にあるのではないか?! そこを追求することで、新たな課題を浮き彫りにすることができるのではないか?! ということです。

コロナから5年……。その余波はいまなお残っていますが、困窮者支援の現場から捉えると、むしろ現在の方が大変になってきているように実感しています。それは支援を必要とする総数の問題だけではなく、「貧困の中身(質)」が、より深刻になってきているということに他なりません。女性の比率が約3割となっていることもそうですが、鬱(うつ)病や統合失調症をはじめとする重篤な精神疾患を抱えている人の比率が極めて高くなっているのです。全体では支援を求めてくる相談者の80%、女性においては100%に近いといっても過言ではありません。「反貧困ネットワーク」は貧困問題の解決に向けて活動する全国組織ですが、この問題はどの支援団体からも共通して聞こえてきます。統計データでも2017年から2020年に掛けて、精神疾患の有病率は1.5倍に増えていることが示されています。新しいデータが公表された時には、さらに増えるであろうと憂慮しています。

―― 貧困は単に経済的なことだけではないということですね。

瀬戸 支援の現場に携わっていると、そういった状況に置かれている人たちが何を食べているかという問題を突き付けられます。要は「食べる」ことへの興味や気力も失ってしまっていて、スナック菓子などに依存してしまっているのです。当然、支援の一環として食材が提供されたとしても、自分でお米を炊くことも、料理することもできません。

実はこの問題については、難民支援の活動を始めた頃から気付いていました。出入国在留管理局から強制退去の命令がされると、オーバーステイなどの理由で在留資格が得られていない外国人は収容を余儀なくされますが、健康上・人道上の理由などにより、保証金を積んで一時的に収容を解除する「仮放免」と呼ばれる制度があります。しかし、在留許可とは一線を画しているため、彼らは就労することができません。そのため、必然的に困窮しているわけですが、その中には日本で生まれながらも、仮放免で強制送還を免れている子どもたちも含まれています。われわれは、その子たちをキャンプに連れていったりしているのですが、地元の食材などを使って一緒に食事を楽しもうとしても、彼ら彼女たちはなかなか食べてくれません。人間の生きる術の基本である「食べる」という習慣さえ失ってしまっていて、口にすることができないのです。

同じような状況が、日本人として暮らしてきた人たちの貧困においても顕在化してきていることに、大きな危惧を抱いています。これが、私が指摘する「食生活」と「貧困」の関連性です。精神疾患になると食のバランスが崩れることに関しては専門医の多くも指摘しており、我々が支援を行う際の大きな壁となっています。

―― 貧困が要因となって、さらに次の問題を引き起していく「負のスパイラル(連鎖)」が起きているということでしょうか?

瀬戸 親が貧困にあえいでいると、その影響は当然、子どもたちに及びます。このことは、経済的な貧困のみならず、食や環境、労働、教育、人権など、さまざまな社会問題に波及し、格差を助長していきます。つまり、貧困の問題は単一のイシューではなく複合的で、その構図にはさまざまな社会問題が内包されているのです。それはいわば、構造的問題といっても過言ではありません。その意味では運動の在り方も、より複合的な視点を持って考えていく段階に差し掛かっていると危惧しています。

例えば、貧困問題への取り組みの1つとしてあげられるフードバンク。企業や家庭で余った食品を引き取り、福祉施設や困窮世帯などに無償で提供する活動です。確かに方法としては合理的で、食品ロスなどの環境資源の無駄を減らすことにもつながります。我々も利用していますが、実は悩ましいところもあります。食事のバランスや添加物のことを考えると、決してベストの選択肢とはいえないからです。同時に支援する側がそこに慣れてしまうと、彼らの食生活や習慣を奪ってしまうことにもなりかねません。その結果として、ちゃんとした食事を渡しても、拒否される状況が生まれつつあるのです。この一例からも、貧困問題にさまざまな構図が内包していることが分かると思います。

―― 多くの貧困者が精神疾患を抱えてしまう背景は、どこにあるのでしょうか?

瀬戸 私は相談者との面談で「いつ頃から精神状態がおかしくなったと感じていますか?」と聞いているわけですが、発達障害をはじめとする先天的な疾患は別にして、ほとんどの精神疾患は後天的に起こっています。そこへ至るプロセスもまた、家庭での虐待であるとか職場でのハラスメントに起因しています。この視点で考えていくと、特に女性の貧困が増えていくのは必然と言えます。DV(ドメスティック・バイオレンス)やパワハラ・セクハラに起因して経済的貧困に陥り、精神疾患を抱えざるを得ない状況が生まれているのです。

「女性支援新法」が果たすべき役割とは?!
「共助」から「公助」へ向けての障壁

―― 2024年4月から「女性支援新法(困難な問題を抱える女性への支援に関する法律)」が施行されています。これは、十分に機能しているのでしょうか?

瀬戸 女性の福祉、人権の尊重や擁護、男女平等といった視点に立って困難な問題を抱える女性一人ひとりのニーズに対応した包括的な支援を行うことを謳っている「女性支援新法」が果たすべき役割は極めて大きいと考えています。行政と連携して支援していかなければ対処できないレベルになっているからです。

この新法に基づき、多くの市区町村には相談窓口が設置されるようになっています。しかし、現状では地域によってかなりの差が生じてしまっていることも事実。本来ならば、生活に困窮している女性が地域コミュニティの中で生きていける環境を築いていくことを目指して、総体的な自立支援を施していかなければならないはずなのに、民間委託も進んでおり、業務が縦割りで細分化されていく方向にあります。アパート(住居)の確保、就労、生活保護などのセーフティネットなど、権限が分割されてしまうと、根本的な解決策は見出せません。特に女性の場合は1人暮らしの経験がない人が少なくないこともあって、よりきめ細かな支援が必要になります。、女性の貧困比率が高まっている中にあって、我々の活動もより伴走型へとレベルアップしていかなければならないと実感しているところです。

―― 行政によって、新法への対応に格差があるということですが、具体的にどのような課題が浮き彫りになっているのでしょうか?

瀬戸 結局のところ、新たな相談窓口が設置されても、縦割りであるため権限移譲が十分ではなく、先程の相対的な支援ということになかなかならないということです。例えば、予算の圧迫につながらないように、いかに生活保護を受けさせないかというロジックもまかり通っています。なかには生活保護の申請が「予約待ち」という行政さえあるのです。そこでは生活保護の窓口に就労支援担当が同席して、生活保護を受けさせないで就労に導こうとしています。さらに問題なのは、どこに就労させるかという中で、いわゆる「寮付き派遣」に持っていこうとしていることです。生活困窮者の中には「寮付き派遣」で経済的な自立ができなかったら、ストレスなどを感じてやっていけなくなった人がたくさんいるにもかかわらず、この発想はまさに本末転倒と言わざるを得ません。

また、社会福祉事務所で生活保護申請の受付では、社会福祉法に基づいて設置されている「無料低額宿泊所」への入居を迫り、それが嫌なら追い返すといった厳しい対応が頻繁に行われています。そのため、生活困窮者は「福祉は冷たい」と感じ、「二度と相談したくない」と足が遠のいていくのです。我々の組織の門戸を叩く人たちの多くが、そういった経験を持っています。所持金が100円になって、救いを求めてきているのです。

私もこのような実情を行政に伝えてきていて、厚生労働この事態を深刻に受け止めている体を見せてはくれるものの、都道府県レベルの担当者になると、一向にコントロールしようという気配すらみられません。

―― きれいなところだけ見て、見たくないところは見ないということなのでしょうか?

瀬戸 実際には所長会議などでは、議題にあがっているはずなのです。それでも動かないということは、現場を把握できていないということ。新法ができたにもかかわらず、その認識自体は旧態依然としているといわざるを得ません。そもそも、生活保護と年金だけでは暮らしていけないということすら分かっていないのです。行政担当者にはぜひ、現場を見ていただいて、困窮者の問題について掘り下げていただきたいと切に願います。

―― 反貧困の運動が「共助」で留まってしまい、なかなか「公助」に結び付かないということですね。社会や政治が変わらなければ難しいというのは分かりますが、現状ではそこが限界ということでしょうか?

瀬戸 ソーシャルビジネスといわれる社会問題の解決を目的とした事業に陰りが見え始めていることは確かです。若い人たちの中に政府に対して喧嘩腰で臨んでいるケースがないわけではありませんが、むしろ為政者側に取り込まれてしまっているケースも少なくありません。自分たちが食べるための手段に変わっていってまっているような気がします。やはり、ソーシャルビジネスである限りは、現場視点が大切です。防衛費が拡大する傾向にあって、社会保障の予算に回せと明確に発信しいく必要があるはずです。

―― ソーシャルビジネス=共助で自己満足してしまっているということでしょうか?

瀬戸 そこは、我々を含めた前の世代の責任もあると思います。反原発や気候変動の運動に関わっている人たちともよく話をするのですが、依然として古い運動のスタイルが残っていて、若い人たちの中に抵抗運動に対するアレルギーのようなものが芽生え始めているような気がしてなりません。とはいえ、共通点も見出せるはずです。例えば、「人権」という明確なイシューのもとに動けた入管法の問題などについては、世代を超えた連帯ができていたように思います。それだけに、貧困格差の問題についても、どのような構造に基づいて起きているのかを、世代を超えてしっかりと議論して明確化していく必要があると考えています。さらにいうならば、その構造を探っていけば、他のイシューとの繋がりも見えてくるはずです。反原発や気候変動、人権、農村、反貧困といったように、これまで個別のイシューとして取り組んできた運動が、構造を紐解く中で繋がり、連帯することができれば、大きな力になり得ます。

そういったイシューを超えた取り組みに、私は注力しています。先ほどお話した農民の運動との連携もその1つ。また、国際環境NGO FoE Japanの気候変動・エネルギー担当理事の吉田 明子さんとも、ここ数年、反貧困と脱原発の接点を探る議論を続けています。例えば、原発事故被害者の「避難の権利」と「住まいの権利」などをテーマに、お互いのイシューをクロスさせようとしています。

―― イシューをクロスさせるという点で、何か事例はありますか?

瀬戸 例えば、お隣の韓国でも「両極化(格差)」と「新貧困(ワーキングプア)」が顕在化し、大きな政治的課題となっていています。この課題に対して韓国では「社会連帯経済育成策」を推し進めているというので、私もソウルの社会連帯経済支援センターを視察してきました。そこでは雇用の創出と地域コミュニティの活性化を目的とするソーシャルベンチャー企業や協同組合、地場企業などへの支援から、太陽光発電・風力発電・バイオエナジーなどのグリーンニューディールの初期化事業、地域住民が参加する学習システム(社会連帯経済教育プログラム)など、多面的な取り組みが市民参加をキーワードに並行して展開されていました。この韓国モデルは今後、イシューをクロスさせるモデルを描いていく上で、確かな参考材料になると考えています。

生きるか死ぬかが「都会の貧困」
一方で学ぶべきは「ムラの貧困」

―― 貧困というと、世界各国のスラム街を思い浮かぶように、アーバン・プロブレム(都市問題)としてクローズアップされがちです。その中で今回、「令和の百姓一揆」に象徴されるように、農村から声があがったことについてどう捉えていますか?

瀬戸 農家が抱える根本的な問題については、これまで広く議論がなされてきませんでした。私は「パルシステム」の出身ですが、産直志向などを唱え、安心食材を届けることを目指してきた組織であっても、所得保障をはじめとする農家の根本的な問題と真摯に対峙してきたとはいえません。機関誌やカタログにも、そういったメッセージは発せられてきませんでした。「令和の百姓一揆」は、そこに風穴を開けることになると期待しています。

ご存知の通り、私は「新型コロナ災害緊急アクション」や「仮放免の難民支援」に際して、メディアやSNSを通じて、積極的に情報発信してきました。ありがたいことに、地方や農家の方々からも、たくさんのフィードバックや応援メッセージをいただきました。それを契機に、農家の方々と共同で農政への提言を策定したりもしましたが、なかなか前に進むことができずにいました。

その意味において、米価高騰に伴い農家の方々が真っ向から声をあげたことについては、大きな意義を感じています。「農村で何が起きているか」について、周囲の理解が醸成されていくからです。都会に暮らす消費者を含めて、農家が抱える構造的課題が一気に可視化されるチャンスだと捉えています。

物価高は非常に切実な問題ですが、「農業の未来」を守ることは、「子どもたちの未来」を守ることに繋がるはずです。そのためにも、都市の住民がしっかりと語っていくということが極めて重要になります。

―― 都会の貧困を目の辺りにして、農家の人たちが手を差し伸べてくれているように、都会からも農村への理解を深めていく必要があるということですね。

瀬戸 私の情報発信に対して、農家の人たちから「都市の貧困は大変だね」というフィードバックをたくさんいただきました。その一方で、「ムラにも貧困が起こっている」というメッセージがあったことに、私は衝撃を受けました。以来、「都市の貧困」と「ムラの貧困」を複合的に捉えていく必要があると考えています。

新型コロナウイルス禍にあって、私は農家の方々に米や野菜を供給してもらい、それを届けることに奔走していました。その時の農家の人たちの熱い気持ちに触れっているだけに、何とかしなくてはと強い思いを持っています。

現段階では、この2つがどうつながるかということについての論議を始めたところですが、一緒になって貧困問題を課題解決するための政策提言を策定していきたいと考えています。というのも、「令和の百姓一揆」が起こったにもかかわらず、国会では備蓄米の放出に留まり、農家の所得保障についての議論はまったくなされていません。

貧困問題に対するスタンスも同様です。根本的なところに目を向けず、直面する課題に対して何らかの手段を講じるだけでお茶を濁しているのが日本の政治における最大の問題だと思っています。例えばヨーロッパは、所得補償のみならず、住宅のことや生活環境を含めた一貫した政策を立案し、それをもとに貧困問題に取り組もうとしています。それは、ナチス・ドイツによるファシズムへの反省に立脚しているからです。「弱者は淘汰されてもいい」という大政翼賛会的な流れに歯止めをかける意味でも、極めて重要なことだと思います。

―― 「都市の貧困」と「ムラの貧困」は、実は表裏一体であるということですか?

瀬戸 これまで都市においては、「ムラの貧困」についての議論はほとんどなされてきませんでした。しかし、東京をはじめとする大都市は全国の地方から人が集まってくる場所であることも事実。その中には家出や地域から逃げざるを得なかった人たちもたくさん含まれています。都市が貧困の温床となっているのには、そういった事情もあるわけです。

その点で、「都市の貧困」と「ムラの貧困」はまったく構造が違います。例えば、東京には自動車工場をはじめとする工場集積地帯の地方都市で食べていけなくなった人たちが集まってくる傾向があります。そういった人たちが仕事や生活がうまくいかないと、所持金がなくなり、その先には「死」を考えるしかないという絶望的な状況に陥ってしまうのです。この傾向は、我々の活動からも顕著に現れています。

一方、山形や北海道の山奥から東京に出てくるケースはあまり聞こえてきません。それは、取り敢えず、住むところと、食料だけはあるからです。「都市の貧困は生きるか死ぬかの問題。だから、自分は米を送る。でも、将来が見えずに絶望感を抱いていることに変わりはない」という言葉を支援してくれる農家の方から聞いた時に、目から鱗が落ちました。レベルには違いはあっても、「ムラの貧困」を意識しなければ、「都市の貧困」の解も見えきません。農家の人たちと対話しながら問題解決に向かっていくことの大切さを認識した次第です。

若い世代や他のイシューとの連携を軸に、
「絶望」から「希望」への転換を模索

―― 「反貧困ネットワーク」として今後、どのような活動を展開していこうとお考えですか? 次なる構想のようなものがあれば教えてください。

瀬戸 1つは生産農場のようなものを作りたいと考えています。というのも、現状では支援する側と支援される側の関係が固定化してしまっています。そうすると、困窮者たちが依存型となり、彼らの自己肯定感がどんどん欠如していってしまうわけです。ここを何とかするためには、やはり経済的自立が欠かせません。そこで、働く中で自分たちが認められていることを実感できるような環境を築きたいと現在、構想を練っているところです。それは、ある意味で就労支援ともいえますが、彼らが既存の働き場所で生きがいを見出せなかったことも事実。であるならば、これまでの延長線上とは違ったアプローチが必要になります。

一方、支援する側にも苦境が押し寄せています。このまま生活困窮者が増え続けていくと、一時的な居場所であるシェルターのキャパシティーがオーバーしてしまうことが目に見えています。カンパの名目で当面の生活費を渡すこともままならなくなっていくはずです。

こういった支援する側と支援される側の関係をリフレッシュしたいと考え、生産農場構想を進めています。

―― 生産農場の構想を進めるに当たって、何かきっかけがあったのですか?

瀬戸 難民問題に取り組んでいる学生職員を連れて、千葉県の農村地帯である三里塚を訪れたことがあります。若い世代は知らないかもしれないと思い、「ここが成田国際空港の建設反対闘争があった場所で、空港用地内に団結小屋があったんだよ」と教えたところ、その学生職員が「だったら、難民の人たちのために復活させてみんなで住めないか?」というわけです。そういった発想もあるのかと驚いて、三里塚の農民の後継者たちに打診したら、いまの世代の農民たちが心を動かしてくれました。そういった経緯で、話し合いを進めているところです。若い世代の発想と理解に感服せざる得ませんでした。

ただし、ハードルもあります。入管法では、仮放免の人たちが就労することが認められていないからです。つまり、法的には難しいのですが、ここはアイディアを絞って解決策を見出していきたいと考えています。

―― 新たな場所を生み出そうというわけですね。

瀬戸 私は幾度も、「死にたい」、「死んでしまいたい」という声に直面してきました。

その背景には、実は困窮に至る以前から彼らが社会的構造の壁にぶち当たってきたことがあげられます。これは相談者との面談を通じて分かったことですが、多くが大学などの高等教育に進めていないこと、正規社員として雇用された経験がなく非正規や派遣社員だったこと、厳しい家庭環境だったことなどを訴えています。そう言う話を聞くと、彼らには「楽しい時間」があったのだろうかと、非常に心配になってしまいます。「楽しむ」という経験値が乏しいが故に、「自立できたら、こんなことをやりたい」ということを思い描くことさえできなくなっているような気がしてなりません。その意味で、生産農場は反貧困運動を続けてきた中で感じてきた絶望社会状態を、いかに「希望」へと転じさせるモデルを創出することでもあるのです。

―― 貧困と農業の問題がクロスするわけですが、「令和の百姓一揆」に触発されたところもありますか?

瀬戸 直接的ではありませんが、「令和の百姓一揆」の牽引者の1人で、山形で農家を営んでいる菅野 芳秀さんの「理を利に転じる」という言葉は、胸に刻んでいます。成田や沖縄の農民たちの土地を守る闘いの中心にいた人でもありますが、要は「理論」だけでは人を動かすことはできず、「利益」とのバランスが大切だということです。また、彼は「難局には対案をもって参加する」とも言っています。国の米減反政策を拒否して村八分扱いされた際に、東京の生協と地元農協をつなぐ流通を築いた人物だけに、説得力を感じます。

当然、生産農場構想においても、さまざまな難局が待ち構えていると思いますが、対案を出すことで乗り越えていきたいと考えています。クロスイシューで臨むことは知恵を出し合うことにもつながるので、その意味でも極めて重要です。

―― イシューの連帯こそが、何かを創り出すということにつながるというわけですね。

瀬戸 「絶望」と「希望」のギャップを埋めていくためには、1つのイシューに向き合うだけではなく、社会構造を俯瞰して、そこに潜んでいる多くの課題や矛盾を抽出することが必要です。気候変動や農業の問題をはじめ、さまざまな社会問題と真摯に対峙している人たちと連帯してこそ、壁を崩せると信じています。そのためにも多くの人たちと対話を重ね、互いに知恵を絞り合って「対案」を考え、「難局」からのブレークスルーを起こしていきたいと切に願っています。

【コラム】
反貧困ネットワーク 学生職員
加藤 美和さん

「希望」を描くことができない社会の構造的矛盾とは⁈

若い世代の1人として、「希望」についてお話します。私は残念ながら、「希望」を描くことは極めて難しいと考えています。そこには2つの視点があります。

1つは、仮放免された人たちの子どもたちの支援に携わっている中での視点。日本で生まれているにもかかわらず、ビザがない、住民登録もできない、お金もない。そのため、夏休みになっても1日中外に出ず、家の中でじっとして過ごしているのです。楽しいことをしたという経験がないので、「これをやってみたい」とか「できるんじゃないか」という想像すらできなくなっています。

そういった彼ら彼女たちに「希望を持とう」と言ったとしても、どんな意味があるのでしょうか。「そんなこと考えても仕方がない」という諦めの境地に立っているだけに、むしろ苦しみを増幅することにもなりかねません。まずは、現状としてそういった人たちがいるということを覚えておいて欲しいと思います。

2つ目は、高校・大学と社会活動を続けてきた私自身の視点になります。私自身は東京で生まれ、両親もいるというごくごく普通の家庭で育ちました。大学も比較的裕福な家庭の子どもたちが通う私立大学です。

ところが、気が付けば「変な若者」になっていました。周囲には社会活動をしている人はまったくおらず、そのことがまったく理解されなかったのです。というよりも、余裕があるから、エリートだからできることと冷ややかな目を向けられ続けてきました。また、私の方から「一緒に活動しようよ」と言いたくても、学業あり、バイトもあり、就活ありと忙しくしている状況が分かるだけに、口をつぐむしかありませんでした。特に私が通う大学は、第1志望で入学している学生が少なく、すでに受験で失敗した経験を持っている人が多いという傾向があります。それだけに、「次は失敗できない」という切迫感が伝わってきて、「一緒に社会課題について考えよう」などと言える雰囲気ではなかったのです。要は、自分が生きていくことに精一杯な人たちにとって、「外に視点を持つ」ということは極めて難しいことなので、「言ったところで響かない」と観念してしまったのだと思います。

それでも、私自身は複数のソーシャルイシューに横串を刺すことの重要性を感じています。それこそ、「難民を受け入れましょう」といった議論において、「そうなったら日本の困窮者たちの仕事が奪われるので、もっと大変になる」という反駁があるのは至極当然のことです。例え、「難民の受け入れ」が清らかなことであったとしても、それだけで解決するわけではないし、ネガティブな影響が生じることについても考えていく必要があります。要は、1つのイシューにおいて正しいと思われる論点だけでは、社会は変わらず、矛盾を克服することはできないのです。もちろん、それぞれの運動におけるイシューを追求していくことも重要ですが、その際にはやはり、複視眼的なアプローチで横串を刺していくという視点が大切になってくると思っています。

この観点から、もう1つ問題提起させてください。私たちの活動では、子ども支援専門の国際NGOである「セーブ・ザ・チルドレン」からの助成を受けて、仮放免の子どもたちが学校に着ていくための衣類などを予算内で購入できるようになっています。そこで子どもたちに人気を博しているのが、中国の「シーン」というファーストファッションブランドです。爆買いする子どもたちも少なくありません。

問題はそのブランドが、大量生産のスケールメリットを追求するあまり、布の廃棄や環境汚染、労働環境の問題などが指摘されている企業によって生産されているということです。困窮状態にある子どもたちが、貧困をはじめとするさまざまな社会問題を生み出す企業が生産している衣類に飛びつくということに、矛盾や乖離を感じざるを得ませんよね。瀬戸さんが仮放免の子どもたちが「スナックしか食べない」という問題を指摘されていましたが、「カラダに悪いよ」といっても安価で高カロリーなスナック菓子を食べ続けているのには、その根底に同じような構造的問題が内包されていると感じています。労働環境や地球環境に配慮されていないものを、弱い立場の人たちが奪い合い、消費せざるを得ない構造が築かれていて、それがまかり通ってしまっているということです。子どもたちはもちろんのこと、それを私たち自身の否定できないことに、問題の根深さがあると実感しています。