【インタビュー】 緑の政治を考える  宇都宮けんじさん(4/4)

「緑の政治を考える」では、緑の党の理念と合致するような思想・運動を展開されている方々へのインタビューを通して、緑の思想を掘り下げていきます。

第一弾は緑の党が提唱する底辺民主主義、草の根民主主義の精神を体現するような活動を長年続けて来られた宇都宮健児さん。連続インタビュー4回目をお届けします。

最終回の今回は、日本の市民運動・消費者運動史の金字塔、クレジット・サラ金運動の30年を振り返りつつ、私たちはどのようにすれば市民運動を強くして国の政策を変えていけるのかについて考えていきます。

以前のインタビューはこちら→ 第一編 第二編 第三編

── 宇都宮さんが、着実に成果を上げることができたのは、どういうことなのでしょう。例えば脱原発の運動とかを見ていると、遅々として進まない感じもあります。もちろん成果がないわけではなく、全原発が止まっていると言えば止まっているのですが……。
 それと比較すると、この宇都宮さんたちが続けてこられたクレサラ(クレジット・サラ金の略)運動というのは着実に成果を上げ、こうしてちゃんと上限金利を引き下げることに成功しています。

 一つは継続的な組織体制をつくれたということですよね。
 クレサラ対協には弁護士や司法書士がたくさん参加しているので、まずその会費収入が一定確保されますし、「ニュース」を出し続けることもできます。クレサラ対協では会員に向けて当初「ニュース」を発行していましたが、それを購入してもらうことも財源になります。また、新しい判例とか取り組みのノウハウを出版物として販売することで活動資金をつくりました。全国的な活動を継続するためには、財政の確立は極めて重要な課題です。そこに集うことによって新しい解決方法や新しい知恵を学ぶことができるようになると、動員をかけなくても自然と人が集まってくるような団体になります。 そして、全国どこでもサラ金・クレジットの被害は発生しているから、あまり金にはならないけど、こんな不正は許さんという若手が全国にいる。そういった弁護士が集まりました。

 だいたい年に4回、拡大幹事会というのを各地で転々と持ち回りで開き、そして年1回、「全国クレジット・サラ金被害者交流集会」を開催しています。これもはやはり持ち回りで、その大会までにはその実行委員会が「クレサラ白書」をつくることになっています。今年は広島で開くので、広島の弁護士さんや司法書士さん、学者、そしてその地域の被害者団体が集まって実行委員会をつくっています。全国交流集会の中では、15とか16のいろいろな分科会も開かれます。 

 そこで、その開催地に行く交通費や宿泊費が必要になる。弁護士は比較的、そういうのを自分で負担することが可能なのですが、被害者団体はお金がない。だから例えば、東京の被害者の人が行く場合は、私が日常的につき合っている弁護士にカンパを呼びかけたり、被害者団体の中には、廃品回収をするなどして、被害者をこの全国集会に送るためのカンパ集めをしたりしています。被害者団体の相談役になっているのは法律事務所の職員が多いのですが、基本的に会の中心は多重債務を抱えている人たちです。

 それで集会が終わったら、カンパしてくれた方にお礼として白書を届けるので、またそこで活動が広がります。最近はちょっと弁護士も貧乏になったから少ないけど、当時は30万円から40万円集まって、被害者団体の活動の資金になっていました。

── 2006年の法改正後、活動に変化はありますか?

 一番大きいのは、弁護士事務所の経営が厳しくなってきていることですね。2006年のこの法改正で多重債務問題はかなり改善され、多重債務関係の事件は激減しました。だからそういう面では、この問題に取り組んだ弁護士事務所の経営が極めて悪化してきています。サラ金問題を解決するために法規制を強化した結果、自己破産や多重債務者がどんどん減り、つまりは自分たちで自分たちの首を絞めている──これは誇りに思うべきですけどね。

 サラ金や商工ローンの大手は倒産に追い込みました。いまの運動の重点は、生活保護問題や非正規労働者の問題といった貧困の問題にシフトしています。また、新たに奨学金問題やカジノ問題についても取り組みを開始しています。

 運動というのは意外とヘンなもので、被害が多発しているときは盛り上がるのですが、被害が減ると沈静化する。だから、2000年の初めからしばらく、貸金業法が改正されるまでは、全国集会にも1,500人ぐらいが集まっていましたが、いまは1,000人を切るようになっています。

── でも、格差は広がってきている。

 そう。だから、その貧困と格差の問題にどう取り組むかが重要なのだけど、それに取り組むことが弁護士の収入にならないということが一つ。それから、貧困当事者に、組織を維持するための費用がないということ、その辺が難しいですね。

 だから、脱原発の運動で言えば、まず全国的組織がつくれていないこと。長期的に取り組む組織体制ができていないのが一番の問題だと思います。長期的に取り組むためには、財政的な問題をクリアすることが不可欠です。そしてきっちりとした組織をつくり、全国各地で拡大幹事会をやったり、集会を開いていくことが重要で、それが逆に財政的基盤を確立していくことにつながります。これがほとんどできていないと思います。

 するとやっぱり、ああいう事故が起こった直後は運動が盛り上がるけど、だんだん衰退していくというようなことになりかねない。

 サラ金の場合も浮き沈みはありましたが、それでも30年以上にわたって運動を続けてこれたのは、そうした財政的基盤がかなりしっかりしていた面があるからです。クレサラ対協には弁護士や司法書士が500~600人、会員となっているので、最低限、会費収入が入る。あるいは本を出版することによる売り上げで、数千万の財政収入を得ることができる。それが活動資金になっていったということですね。 だから韓国の市民団体「参与連帯」が、会費収入で数十人の専従活動家を維持しているというのは、極めて注目すべきことだと思います。どういう形で財政を維持しているのか、その辺を日本の市民運動は学ぶ必要がありますよね。韓国に行くなり日本に招くなりしてみたらいいのではないかと思います。

── いま、焦点を当てるべき問題、あるいは運動というのはたくさんありますが、宇都宮さんはどのように展望されていますか。

 焦点を当てるべきものはたくさんあって、まずは憲法改悪の問題が一つですよね。脱原発も一つ。それからTPP。貧困の関係では社会保障の改悪の問題があります。これは生活保護基準の切り下げとか生活保護法の改悪、医療・年金・介護の改悪の問題……それから消費税増税、それに、国家戦略特区の問題もはずせないですよね。

 確かに、個々には取り組めていることもありますが、しかし、それらを束ねていくような組織がないんですね。参与連帯というのは、個別の問題に取り組みながら韓国社会を変えていく運動にも取り組んでいる。かといって政党でもない中間的な市民組織です。そういった組織が、日本でうまくできるのか、できないのか。

 日本ではこれまで、大きな組織といったら労働組合に限られていましたが、その労働組合の組織率が低下して影響力も小さくなっていますし、また日本社会の重要な問題に真っ向から取り組んでいるかといったら、そうとは言えません。今回の都知事選でも、連合東京などは自公政権が推す候補者を推薦しています。

 昔は労働組合といったら、労働者の権利を守りながら、憲法改悪反対など社会的な重要問題にも声をあげていました。美濃部知事のときは総評と社共が政策協定を結んで革新都政をつくっていました。ところが、この総評ももう見る影もなくなってしまいました。

 そういう中で、リベラルというか革新の側が衰退するのは当たり前です。数合わせで、政党の離合集散で、自民党の対抗勢力だけをつくろうとしてもうまくいくわけがない。問題はそれを支える運動の質です。運動が薄っぺらくなったら、結局は、つくった政党も自民党と似たりよったりのものにしかなりません。本当の意味で市民・国民の権利を守り、市民・国民の立場で政治を行うような政党にはならない。

── その対抗政党は、どうしたらつくっていけるのでしょう……?

 それはやはり、市民運動や労働運動の再生にかかっていると思いますよ。それがない限りは、著名人が旗振り役をして新党をつくったとしても、真の意味での対抗勢力とはなり得ない。フニャフニャ~って消えちゃう。まず、自分たちの運動の弱さを自覚して足腰を強めないと。

── 市民運動が政治を毛嫌いするということもありますね。

 そこも乗り越えないとだめですね。本当に国政を変えようとしたら、すべての国会議員に当たらなければならない。そのためには全国組織が必要です。地元の議員に、地元の人が当たるような態勢ができていなければ。東京の人が地方の国会議員のところに行ってよろしくお願いしたって、そんな程度じゃダメなんですよ。そういった、日常的な活動が非常に弱いですね。国会議員に対するアプローチも含めて、もっと組織的に取り組まなくてはならないと思います。

 その2006年の法改正に向けた運動では、まずクレサラ対協や被連協自体が全国キャラバンを何年も繰り返しました。それと同時に署名運動行い、集会を何度も開き、一方で、日弁連にもそれに対応する上限金利引き下げ実現本部ができて、本部長代行に私がなり、事務局長には新里宏二さんが就いた。日弁連という組織を動かして、全国の52弁護士会が地元の国会議員に与野党問わず金利引き下げを要請して、全国会議員の星取表をつくったのです。さらに、中央労福協(労働者福祉中央協議会)を巻き込み、中央労福協を通じて連合を巻き込み、消費者団体を巻き込み……、多数派工作をしていきました。

 貸金業法改正の闘いを「平成草の乱」といって、120年前の秩父困民党の闘いを映画化した「草の乱」にちなんで名付けたりして、集会やデモ、街宣活動を何十回も繰り返しました。壮大な運動ができるまでになっていきました。

── 30年間の蓄積ですね。

 そうですね。全国の地図を埋めるようにキャラバンをしましたよ。それが2006年の改正運動に集約されたという感じです。それまでの積み重ねがあったからこそ、できました。

 43都道府県、1,136市町村議会で、金利引き下げの決議をあげさせています。つまり、47都道府県の大半で、金利引き下げの議会決議を行った。だから当然、保守が中心の議会でも、です。それから、1,136市町村議会というのは、全国の市町村の6割ぐらいに当たる数で、要するにそれだけの議会すべてに当たれるような力があったということです。

── そこに至るまでの道のりを思うと……。最終的に、そういう目標を掲げて、育てていったということですか? それとも、結果としてそうなったのか。

 最初は1970年代の終わり頃ですが、それはチョボチョボした集団でしたよ。でもやっぱり、高すぎる金利を下げなければいけないという目標はありました。だけど、こちらだけでなくて、反対勢力もあるわけで、サラ金業界は業界として国会議員に政治献金をしていました。そこのせめぎ合いがあったので、いつも金利は下がりながらも、出資法と利息制限法の間のグレーゾーン金利は残る。だから、2006年にグレーゾーンをなくせたということは、そういうものを一つ、突き抜けた運動ができたということですね。

 それは、クレサラ対協運動の中心にはなっているけど、クレサラ対協だけではなくて労福協を通じて労働組合の連合を動かしたということ、日弁連を動かし対策本部をつくった。全国の弁護士会、3万人近くの弁護士をフル動員できたということですね。そういう力を組み合わせる体制が、ちょうどできたということです。

 ただ、その前段には、例えば武富士の盗聴事件とかがありました。武富士の会長が逮捕されたり、アイフルの違法取り立て事件とか。だから、メディアでもよく取り上げられたわけです、特にワイドショーでは。この問題が、まずメディアの関心を呼んだということです。

 それから最後は、「読売新聞」の社説で、グレーゾーン金利を撤廃すべきだと出た。だから、基本的にはそこが重要なんです。それから、政党は公明党がキー政党。公明党を味方につける、新聞は読売までをも金利引き下げを支持させる。

 もちろんそのためには、そういった実践の積み重ねと組織体制、そしてマスコミ関係者や記者とのコンタクトやネットワークがかなりできていました。

── ひとつの社会問題に取り組んでいる間に視野が広がって、いろいろなことをしていくということがあると思いますが、このクレサラ運動などに取り組まれた方は、その後どんなことに取り組んでいらっしゃいますか?

 そうですね、一つは貧困問題ですね。生活保護問題、それから非正規労働者の権利確立問題……、ギャンブル依存症対策やカジノ反対運動、セーフティーネット貸し付け問題など……。

 このクレサラ運動では、武富士とかアイフルなど、個別企業をターゲットに運動したということも大きかったですね。サラ金一般ではなく、個別企業を徹底的にやっつけたということも大きかったと思います。 それから、弁護士集団の強みは、制度や法律を変えるための立法提案、政策提言ができるということです。官僚機構というのは常に政府側に寄りますので、それに対抗できるような立法提案能力があることが大切ですね。国会議員というのはほとんど、立法能力がありませんのでたいへん重要です。

 だから市民運動というのは、そういう部隊を近いところに持っておく必要がありますね。弁護士集団とか、立法提案能力がある人たちを。

── やっぱり市民のメディアと市民のシンクタンクが必要だというのは、お話を伺っていて強く思います。実現可能な法案ベースでの政策提言ができるという……。

 それと、それを政策提言に終わらせるのではなく、実際に働きかける組織力ですよね。今の反原発運動はまだ、そういう面での組織力はないですね。つまり、集会を打つ組織力、実行委員会なんですね。
 全国的に組織を建設していく力、そして全国的に地方自治体、あるいはその地域を出身とする国会議員に対するアプローチをしていく力、そうした態勢づくりはまだ、できていないですよね。

 今回の都知事選でわかったと思いますが、呼びかけをしている著名人というのは、組織活動家ではありません。単なる呼びかけであって、もちろん、良心の一つとして著名人が一定の影響を与えるのは間違いありませんが、そんなのに頼っているようでは世の中はひっくり返せません。それだけでやっているような運動というのは、あっという間に、風が消えたらしょぼんとしおれてしまう。

 だから、どういう状況になってもある程度、継続的な活動ができるような組織が不可欠です。そういう面では、市民運動はもっと、労働組合や政党の組織性について学ぶべきだと思います。毛嫌いするのではなく、それを上回る組織性を持てばいいわけで、毛嫌いして自分たちの非組織性を甘受しているのは間違いです。そんなことでは、闘えません。

 だから、そういう市民運動に残っている反共主義とかそういったものは、自分の弱さを隠している口実に過ぎません。

── 一人一人が本当に覚悟を決めないと。

 そうそう、学ぶ覚悟をしてね。謙虚な気持ちがあれば。
 私たちのクレサラ運動集団というものは、もともとはとても弱かったけど、だからこそ自分たちの力の弱さをわきまえ、弱いからこそ、ほかとつながらなければならないと考えた。だから、労福協などの話が来たときなどには、一切の偏見を持たずに飛びつきましたし、連合などをも巻き込んで、大きなうねりにしてきました。

 「相手が同じ方向でやってくれるのは、大変ありがたい」そうした受けとめ方が必要なのに、大した力もないくせにそれを詮索して、あいつはだめだ、こいつはだめだというようなことを言っているようでは、それは単なる自己満足です。自分たちが問題だと抱えている課題を本当にやり抜くためには、どんな人とも同等に、協力的な視点で手を結んでいく、それが重要です。そういった点でやはりもう一つ、市民運動が育っていない面がありますね。

── アイデンティティを失ってしまうという怖れのようなものもあると思いますが。

 その点はやはりクレサラの経験で言えば、定期的に会合を持ったということは大きかったと思います。何かがあったら集まるのではなく、規約もきちんと定めて、年に4回は必ず拡大幹事会に集まり、そこで方針などを議論をし、それから、年に1回全国集会で集まる。

── その拡大幹事会はどのようなプログラム内容なのですか。

 だいたい午後の1時から5時までびっちり報告・議論で、最初の1~2時間は学者を呼んだりシンポジウムをするときもあり、5時以降は懇親会。今は午前中に分科会を開くことが多いですね、30年にわたって年に4回。

 だから、日弁連の会長選では派閥に勝てたわけです。私たちには東京や大阪の弁護士だけでなく、クレサラを30年やってきたつながりが全国の弁護士会にあるからです。それだけ強い結びつきができていた。派閥ごときのフニャフニャした集団ではなかったということです。

── その一つの方向性に向かって、人と人とがきちんと交流をしていく……。

 そうですね。やっぱり顔を合わせることが重要ですね、ネットでつながるだけではなくて。そして毎回、懇親会はきっちりやるということですね。(笑) 人的なつながりというのは、とても大きいですよ。そして、一回一回、何がよかったか、何がよくなかったかをきちんと総括をする。地味なようだけど、そこをおろそかにしたらだめですよね。それは組織を継続するうえでは基本だと思います。オープンに会議を開いて、民主的に議論をして、意思統一をはかって次のステップに進んでいく。

── 弁護士さんというと、どちらかというと自己主張をしっかり持っている方が多いと思いますが、そういうのを民主的にまとめていくにはコツというか……。

 一つは、この集団は、お金を貸す側ではないということがはっきりしていて、借りる側の味方であるということ。借金をする人の立場に立って、日本の高利貸しの問題を何とかしなければいけないというところで一致していた。だからそういう面で一致をしている人たちの集まりだったということです。それはしっかりしている。

 その人が過去にどういう政治経歴を持っていたかは、一切問わないし、あまり問題にはならない。サラ金とどうたたかうか、どう債務者を救済するかだけ。だから、中には政党の活動をしていた人もいるし、学生運動していた人もいる。幹部の1人は元自衛官で、天皇崇拝論者。だけど、サラ金は許せんと、熊本で一番熱心に、サラ金・ヤミ金などの問題に取り組んでいます。 だから、そういう政治的な立場は違う人もいるけど、借りる人の立場にあり、高利に頼らなくてもいいような社会にしなくてはならないということでは一致している。

── 今の脱原発の運動も、自民党の中の人たちともつながりやっていくぐらい大きい入れ物じゃないと、ダメだということですね。

 個別の取り組みにおいては、政治的立場よりは、その目標を達成することが重要なわけだから、色分けする必要はないですね。一致すれば、一緒に手を組んでやればいい。

 クレサラの集会には自民党の議員なども来ていますよ。後藤田正純さんとか加藤紘一さんとか、他にも。それに秩父困民党が蜂起した椋(むく)神社というのがあって、ここを拠点に「平成草の乱」でマラソンリレーをしていますが、そこにも自民党の若手議員が参加していますし。

── 運動の側がオープンになることでさまざまな人が集まり、そこでコミュニケーションが生まれる。

 サラ金の利用者というのは1,500万人を超えています。そして数百万人が多重債務者になったということは、全国どこでも、弁護士がサラ金の事件を手がけているということです。その弁護士たちが手がけやすいように、私たちは法改正したり制度を変えたり、それから判例をとるということをしてきました。ですので、一般の市民・国民の中ではあまり知られていないかもしれませんが、弁護士の人たちは私たちがやったことをよくわかっています。サラ金事件は、最初はどの弁護士も嫌がり、たらい回しにされる事件でしたが、今ではどんな弁護士でも取り組めるようになりました。

 サラ金規制法というのは、出資法を改正して出資法の上限金利を下げただけではありません。貸金業規制法で貸金業を登録制にし、それから取り立て規制を設けて、夜の9時以降・朝8時以前の取り立てはしてはならないとか、大勢で押しかけたらだめとか、ドアに貼り紙をするなどプライバシーを侵害するような取り立てはだめだとか。弁護士が間に入った場合には、直接本人に取り立てしてはならないというような通達も出ています。これ以降、弁護士が受任通知をファックスで業者に送るだけで、本人への取り立てはピタッと止まるようになりました。だから、弁護士は非常に業務をやりやすくなったんですね。

 そういった恩恵を受けているのもあって、日弁連会長選挙のときには私を支持してくれた弁護士が多かったのではないかと思います。

── 先日、神奈川で若手の弁護士さんと話したら、「人権派の弁護士というのは確かにお金がない。けれども、宇都宮さんが広げてくれた成果のおかげで、私らは食べています」と言っていました。

 それでもやはり30年かかってしまったんですね、年109.5%から年20%にするのには。だから、この原子力問題がそう生易しくないのは、それこそ原子力ムラは国の権力の中枢に食い込んでいるからです。電力会社、官僚、政治家、学者、メディア……。そういった強大なものを相手にたたかうということは、もっともっと長期的な視野と継続性、根気強いたたかいが必要です。今回の選挙が最後のチャンスなどと言った人がいましたが、その程度の考え方では原子力ムラに勝てるはずはない。クレサラだって30年かかったのだから、60年かかってでも成し遂げるくらいのつもりでやらなきゃだめですだよ。一喜一憂していたらだめなんです。

 貧困の問題も、派遣村のときはメディアでも頻繁に取り上げられたけど、とりわけ3.11の後は報道が少なくなっています。だけど貧困は広がっています。シュンとしている暇があったら、メディアに取り上げさせるような運動を工夫していかないと。

── 何というか・・・、クレサラ運動は何かこれといった特別なことというよりは、ほんとうに必要なことに正攻法で真正面から取り組み続けて来られたのだということがよく分かりました。

 長期的な視野を持ち、継続的な組織体制をつくる。そのための財政基盤を確立する。オープンな議論を重ねて意思統一をはかり、よく交流して小さくても団結力のある集団になる。どんなときでも活動を継続していける組織をつくる。そのうえで他の運動体とも幅広くつながっていく。
 政策立案能力をつけ、提言した政策を実際に実現させられる全国的な組織力を育てる。運動の実践を重ね、メディアにとりあげさせる運動を工夫し、マスコミ関係者とのネットワークをつくっていく。60年かかっても成し遂げるくらいのつもりでやる・・・。

 私たち緑の党も、緑の政治、持続可能でフェアな社会の実現に向けて、長期的な展望を持って活動を広げ、根気強く組織づくりを進めていきたいと思います。

 本日はありがとうございました。

終わり