【インタビュー】 緑の政治を考える  宇都宮けんじさん(2/4)

「緑の政治を考える」では、緑の党の理念と合致するような思想・運動を展開されている方々へのインタビューを通して、緑の思想を掘り下げていきます。

第一弾は緑の党が提唱する底辺民主主義、草の根民主主義の精神を体現するような活動を長年続けて来られた宇都宮健児さん。都知事選を通して市民運動、選挙、民主主義のあるべき姿、その育て方について訴えて来られました。確固とした信念の背景となったお考えやご自身の経験をお話しいただきました。

2時間に渡るロングインタビューを4編に分けてお届けしています。今回は2週目です。第一編に引き続き、日弁連会長選挙と東日本大震災をまたいだ会長時代の職務経験、そして都知事選について語って頂いています。

<第一編>   https://greens.gr.jp/notice/interview/10575/


── それから2年間近く日弁連会長を務めましたが、会長の大きな仕事は、ひとつの組織をどう動かすかというマネジメントです。日弁連には200近くの委員会があって、各地から選ばれてくる13人の副会長が、それぞれの委員会を5つから6つ、多い人は10くらいを担当しています。

 会長の片腕、内閣官房長官にあたるのが事務総長ですが、それは海渡雄一さんにお願いしました。

 そして、国政で言えば内閣のような正副会長会議というものがあり、そこでいろいろな物事を決め、国会にあたるものとして理事会があります。全国の弁護士会から選ばれた理事が参加し、議論をしあい、合意を取り付けて、日弁連の意見としてまとめていく。

── 会長声明などはそういうプロセスを経て出されるわけですか?

 会長声明は基本的には正副会長会議で諮(はか)れます。関係委員会からあがって来るのもあるし、執行部が主導して出すものもある。東日本大震災があったことも関係しますが、私が会長在任中の2年間は、それまでの執行部の何倍もの会長声明と意見書を出しています。全部で400本を超える意見書を出したのでないかと思いますよ。東日本大震災と原発事故に関しても、全部で109本の意見書と会長声明を出しています。立法的な提言については、それを具体化するためのロビー活動もし、法律として実現したものもかなりあります。

 例えば、二重ローン問題対策として、個人相談者向けの「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」、中小事業者向けの二重ローン対策立法で、「株式会社東日本大震災事業者再生支援機構法」。いずれも日弁連からの提案です。原発事故の被害者の救済に関して言えば、「原子力損害賠償紛争解決センター」(ADR)を設置し、その調査官や仲介委員を務める弁護士などを日弁連から派遣しています。

 それから例えば、相続放棄等の熟慮期間の延長を提案し立法化ました。亡くなった人に借金がある場合、相続人は、相続放棄をするかどうかを、通常は3ヶ月以内に決断しなくてはなりませんが、こんな大災害のときに3ヶ月で決断できる人はいません。また、災害弔慰金の支給対象を兄弟姉妹に拡大しました。災害弔慰金は通常、親子と配偶者が亡くなった時にしか支給されませんが、同居している兄弟や姉妹が亡くなったのを対象外にするのはおかしいという意見がだいぶ出されました。これらは、特に被災地の弁護士会と全国各地の弁護士会が避難所や仮設住宅で無料相談を行う中であがってきた意見を、会長声明や意見書という形でまとめて提言したものです。

 それから、全国から送られた義援金を受け取った人が、債権者からその義援金を差し押さえられるということが発生した。それは義援金の趣旨に反しますので、義援金の差し押さえを禁止する法律「東日本大震災関連義援金に係る差押禁止等に関する法律」を作ったりもしました。

 さらには法律扶助制度の問題。資産や収入が一定の基準以下の人は、法律扶助制度というのを利用して無料で法律相談を受けることができるのですが、それには財産の状態を調べる必要があります。でも、仮設住宅に入っている人の中でも地震保険をもらったり、さまざまな補償金を受け取ったりしている人もいて、あまりそれを事細かに聞かれるとなると、結局、その相談自体をしなくなってしまうということがあったんですね。それなので、被災者であればすべての人が無料で相談を受けられるといった「東日本大震災被災者援助特例法」を作りました。

 それから「子ども被災者支援法」につながったのが、「原発事故被害者特別援護立法」の提案ですね。原発事故にともなう損害賠償については当初、被害当事者が原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)に申し立てを行い、それをADRが斡旋調停すればよいという考え方だったのですが、高齢者や障害者はその手続きも困難なのですね。それよりは、まずは国が原発事故被害者に対し一定の生活保障や健康調査、医療を保障して、その国が支給した金額を東電から国に求償するのが筋だということで、「原発事故被害者援護法」の提案をしました。その一部が「子ども被災者支援法」という形で実現して、その基本には、避難するかどうかの決定権は避難者自身にあり、自主的に避難した人と残った人の補償に差を設けるべきではないという考え方があります。

 これら、数々の法律の制定につなげることができたのは、全国の弁護士、被災地の弁護士が避難所や仮設で無料相談を行っていたからで、その中で浮き彫りになった課題を対策本部で意見書や会長声明の形でまとめていきました。海渡さんは原発の問題をずっと取り組んで来た人なので、原発事故に対する国の方針に対しては、日弁連として適格な意見をいうことができたと思います。

 例えば一般人の年間被爆許容量は1mSv以下に抑えなければいけないという基準があるはずなのに、文科省はそれを緩和して20mSvまでOKという、とんでもない案を出してきた。放射線量の高い地域で、子ども達が校庭で遊んだりすることについても同様に、緩和するようなことを言いだした。ところが、海渡さんが扱ったケースでは、毎年5mSvの被ばくを受けていた原発の労働者が、8年後には40mSvの蓄積となって白血病を発症し、労災認定がされた人がいるのです。大人でさえ5mSvで白血病を発症しているのに、子どもが年間20mSvまで許容するなんてとんでもない。すぐに意見書を出して文科省を改めさせた、そんなこともあります。

  そんなこんなで提言や会長声明を109本出した。だから、日弁連の会長という仕事には、行政的な側面がかなりあるということですね。

── そういったことを経ての、都知事選出馬だったのですね。

 そうですね。全国の52の弁護士会、3万人を超える弁護士を束ねていく会長職を2年間やったということはとても貴重な経験で、それは自分の中の大きな蓄積となり、ある程度の自信につながったのは間違いないですね。だから、石原さんが都政を投げ出した時には、要請に即答できたのだと思います。

── それにしても、宇都宮さんが日弁連会長のときに東日本大震災が起きたというのも……。

 偶然ですよね。予測もしていなかったけれど、そういう問題に立ち向かわざるを得なかった。

── 普通だったら、慣れるのに1年や2年かかるような仕事だと思いますが……。

 だからそこですよね。比較的スムーズに会長職の仕事を始めることができたのは、会長選挙中に2ヶ月間全国を行脚したことや、10回にわたる公聴会でビシビシ厳しい質問を受けて、それなりに自分の言葉で回答していったことが、会長として鍛えられる期間だったと言えると思います。あの時間がなければ難しかったですね。

 

── そういった日弁連の会長選挙の経験を経て、問題意識を持ったまま都知事選にのぞまれたということですね。実際に、2012年の12月、1回目の都知事選に取り組まれたときはいかがでしたか? どんなことを思われました?

 一つはですね、有権者が1000万人を超えているというのは、あまりに茫洋としていました。日弁連というのは3万人超で、その会員についてはある程度わかっていますし、どういう選挙活動をやるかといったら、ハガキを出したり公聴会をやったりもしますが、基本的には全国の弁護士に電話をかけて、一人ひとりの支持を獲得していくという方法です。

── それは事務所を構えてですか?

 そう。私が所属している東京弁護士会は6000人近くの弁護士がいると思いますが、そのうち5000人が何らかの派閥に属しています。例えば東京弁護士会最大派閥の「法友会」には、私が選挙に出たときには派閥に所属する弁護士が2500人くらいると言われてました。東京弁護士会も大阪弁護士会も派閥が大半を占めています。

 派閥の候補者の場合は、東京と大阪に大きくて立派な選挙事務所を構えて電話を100台くらいズラッと並べ、若手から年寄りの弁護士までが、司法研修所で同じ釜の飯を食った全国各地の同期の弁護士に電話をかけていきます。電話がまったく空く時がないくらいに。だから派閥の場合は、3万人の会員一人ひとりに対してだいたい3回、計9万本くらい電話をかけ、そうやって、一人ひとりの支持を取り付けていく。でも私たちは弱小部隊だから選挙事務所も小さくは電話も5~6台で、増えても7~8台を、東京と大阪の2か所に置いて。その電話すら埋まってない時期があった(笑)。

── 宇都宮さんご自身もかけられたり?

 もちろん。私は候補者であり、公聴会で答弁する者でもあり、かつ選挙で票を獲得する主力メンバーの一人であって、電話は私一人3000本から4000本はかけていますよ。

 そんな圧倒的な差の中で私たちがなぜ勝てたのかというと、派閥の場合はだいたい、東京と大阪に派閥のメンバーが集結して、そこから地方へ絨毯爆撃みたいに電話をかけるわけですが、私には30年以上にわたってクレサラ(クレジット・サラ金)運動をやってきた仲間が全国各地にいます。私は年長の方だけど、中堅クラスは30代、40代、50代のはじめの脂の乗り切った人たちです。その人たちが、例えば佐賀でクレサラ運動をやっていた人なら、佐賀弁護士会の会員弁護士を説得して、弁護士一人ひとりに宇都宮に入れてくれと説得してまわる。それぞれの弁護士会に一緒に闘ってきた仲間がいて、各地で説得していきました。

 日弁連の選挙には特別なルールがあって、ただ多数票を取るだけでは当選しません。最高得票率を取るとともに52の弁護士会のうち3分の1以上の弁護士会で、トップの得票数を取らないと当選を認められないというルールがあります。つまり、3分の1は18会ということになるので、例えば私たちが35会取ったとすると残りが17会だから、相手方がいくら多数の個人票を獲得しても永久に当選できないという仕組みです。日弁連の60年の歴史の中で、このルールが問題になったことは過去に1回もありませんでしたが、この2010年の選挙の時に初めて問題になりました。

 第1回目の投票で40会で私を支持して、相手方が多数だったのは9会(1会は同点)だったかで、得票は相手のほうが上だった。だけどそれでは当選にはならないから再投票となり、その結果、今度は46の会が私たちのほうを支持した。第一回目の投票で地方がこちら弁護士会の大多数を支持ということになったら雪崩を打ったように大阪も逆転したんですね。派閥の方は、まぁ一回義理を果たしたから、今度は宇都宮でいいかとか……(笑)。大阪の派閥はそんな緩やかなつながりなんですね。

  それで2回目は46の会が私を支持して、相手を支持したのは4つか5つ。東京の3つの弁護士会と、あと1~2くらいしかなかったんじゃないかな。得票数も遥かに私の方が上回り当選しました。

  ということで、この3分の1以上ルールを使って当選したのは私が初めてなんです。

── それに比べると知事選は茫洋としていたというのは。

  有権者の一人ひとりにあたるわけではないからです。2012年12月の1回目の都知事選はほとんど、街頭宣伝が中心の選挙活動でした。それで、例えば八王子などで街頭宣伝をすると1000人近くの人が来て、黒山の人だかりとなるんです。例えば、私の演説の後に自民党の衆議院議員候補が演説しているのを観ていたとしても、集まっている人は数人しかいない、けど翌日の報道では自民優勢と言う。街頭宣伝がぜんぜん盛り上がっていないのに、どうしてなんだろうかと。

 最後の街頭宣伝も12月15日の夜に新宿西口で行い、3000人から4000人が集まって、私もけっこう熱のこもった演説をしました。ものすごく盛りあがりましたが、翌日、票を開けたら猪瀬は400万票超えてこちらは96万票。だから街頭宣伝に集まってくるのは勝手連の人とか支持政党の人、支持してくれた労働組合の人などであって、もともと支持者なんですよね。一般の通行人がそれだけ集まってくれたらいいのだけど、通行人とか無関心層、そういうところになかなか届くような選挙戦ではなかった。

 選挙期間に入ったら、候補者の私は街頭宣伝と選挙カーで回るだけで、電話かけなんかまったくやらない。日弁連の会長選挙のときは選挙事務所につめて、選対本部長兼候補者だったのだけど、都知事選挙はあまりに膨大だから、選挙事務所にでんと座って対策を指揮するなんてことはもうできない。候補者は候補者になってしまうわけですね。手応えもまったく分からないまま、とにかく今日はあっち行ってこっち行ってと、スケジュール通りに動いた選挙でした。

 だから雲をつかむような選挙だったけど、それでもあの中で96万票を獲って次点だったというのは、それなりの意味があったと見ています。しかも、国政選挙と重なり、都政の問題は埋没してしまった中で。

  その経験を踏まえて、今回(2014年)はやはり、街頭宣伝だけでなく、街頭に来ないような人、前回猪瀬に入れた人、棄権した人にどうメッセージを届けたり働きかけができるかが問題意識として大きかったですね。それに対する一つの手段がツイキャスなどのネットの利用で、もう一つ重要な手段として、今回こそテレビ討論だったのだけど、細川(護煕)さんが拒否したことで16回も流れてしまった。

── そうですね。今回の選挙はネットとかツイキャスとかがありましたが、勝手連とか支持者の外に広げていくことに対する感触はどうでしたか?

 ボランティアがのべ2000人で前回の約3倍で、事務局スタッフも20人くらいから50人くらいに増えていますし、カンパの額は前回に比べると少ないけど、カンパした人の数は倍ぐらいになっているようです。だから、もし細川さんが出なければこちらを支持したであろうという人は一部いたと思いますが、それを上回る選挙活動の広がりがあったのではないかと見ています。

 それと、今回は国政選挙がなく単独選挙だったので全国から注目が集まり、いろいろと応援がありました。支持する政党──社民党、共産党、緑の党、新社会党──の力が、国政選挙とで分断されずに集中したということも大きかったと思いますし、前回以上に緊密な体制をとれましたね。

── ボランティアに関しては、顔ぶれ的には前回来てくれた人が半減という感じだったようです。

  だけども今回はもっと、本当に個人の意思で、いろいろな人が集まってきたという感じがしましたよ。託児コーナーができたり、動画番組とか新たな取り組みもありましたし、離れていった人たちもいるけど、それを上回るくらいに新たな参加があったと思います。

── 宇都宮さんは以前から選挙というのは運動の一環だとおっしゃっています。1回目、2回目と、都知事選挙の中で運動が広がってきていると思いますが、そのあたり、市民運動、そして市民選挙のあり方についてはどのように感じていますか?

 もし細川さんが出なければ100万票は軽く超え、運動もさらに広がったと思いますが、細川さんが出たことによって、原発問題に関心が持たれたのはいいことだと思っています。ただ細川さんがテレビ討論を拒否したことにより、政策論争の機会が失われたことと、実施された唯一のテレビ討論でクロストークが禁止されたことにより、厳しい政策批判、お互いのやりあいがなかったことです。これも投票率の低さにつながっているのではないかと思います。街頭宣伝でお互いに好き勝手言っていてもぶつかりあうことがありません。舛添(要一)氏を追いこむためには、どこが問題かを指摘しあわなくてはならず、テレビ討論はその非常に重要な機会だったのです。何が争点かを有権者に伝えられませんでした。その機会が失われたことは非常に残念です。

 ただ私たちの得票数が細川氏を上回ったことによって、市民運動や市民選挙の在り方について、一緒にたたかった人たちは実感していると思います、著名人頼りとか風頼りではなく、コツコツと市民一人ひとりが大きくつながればたたかえるのだということを。前回より投票率がだいぶ下がったにもかかわらず、得票数は前回を上回っているのです。得票率は前回の14.58%から20.18%と、5.6%も増えている。前回並の投票率であれば130万票くらいは軽く超える数字です。確実にこちらの影響力は広がっているということですよね。

続き > https://greens.gr.jp/notice/interview/11024/