【参院選チャレンジ情報】第1次予備選挙 立候補者のプロフィール(テキスト版)
第1次予備選挙 立候補者情報(届け出順)
松本なみほ.
フリガナ:マツモト ナミホ
1974年6月10日生(満38歳)
女性
兵庫県神戸市北区
携帯電話:090-8528-2507
namiho4[a]gmail.com
http://namiho.blogspot.jp/
立候補の決意
●日本の全ての原発を即時廃炉に 今年(2012年)の夏、日本では原発の電力が無くても電力が足りることが証明されました。無駄削減や、高効率の電力機器への転換でさらなる節電も可能です。電力会社や大企業の利益のために、こどもたちの命や未来が脅かされることは、人として、母親として絶対に許すことができません。 日本の原発ゼロは、世界の原発ゼロの第1 歩となります。原発がなくても豊かに暮らせる社会モデルを 創造し、世界の緑の党と共に一刻も早く世界の原発全廃を達成したいと考えています。
●阪神淡路大震災を経験した神戸市民として、原発依存度の高い関西人として原発震災をくいとめる 大震災が起きると交通網や情報網は機能しなくなります。どの程度、どのぐらいの期間機能しなくなるかも予測がつきません。そんななかで若狭の原発一つにでも事故が起きたら、琵琶湖の水源は汚染され、関西の2000万人は暮らせなくなり、日本は壊滅的な被害となるでしょう。震災被災者の救援活動と原発事故からの被曝防護対策は両立できないのです。また、原発事故原発の使用済み核燃料は3年間、プールで冷やさなくてはなりません。今すぐ原発を止めても安心はできないのです。1秒でも早く、この日本一原発依存度の高い関西から「原発即時停止」を実現しなくてはなりません。
●学生時代から取り組んできた環境活動、10年間携わってきた「緑の党」づくりの経験を活かします 学生時代からエコ・リーグという学生の環境活動連名で活動してきました。大学卒業後3年間、エコライフを普及啓発する有限会社設立に携わり、家庭の省エネや環境に優しい暮らしを広めてきました。 その後7年間は、神戸市の市議会議員のもとで政務調査スタッフを勤め、自治体の行政や議員の仕事の可能性や限界について学びました。分かったことは、家庭でのエコライフだけでは、日本の環境問題は解決できないということ、自治体は国の政策に大きく影響されていて「地方自治」は実現できていないということです。そして日本の政治はというと、国会議員は官僚の言いなりで、日本政府はアメリカの言いなりです。 中村敦夫さんの「緑の会議」のときから、日本にも「緑の党」が必要だと痛感し、活動をしながら10年が経ちました。3.11が起きた今緑の党をつくることは、もはや夢だけではなく、責務だと思います。未来のこどもたちのために、自然環境の再生を推進する政党が必要です。脱原発を求める市民の声に応えるためにも、来年7月の参議院選挙で議席獲得を果たし、政党要件を獲得しましょう。
政策(とくに関心の高い政策、実現したい政策など)
【1】原発政策
1)福島や関東からの迅速な避難・移住(原発事故子ども・被災者支援法の具体化) 高い放射能に汚染されている地域からの避難・移住を希望する人が一刻も早く安心して暮らせるように なるために、雇用の確保・創出、二重ローン問題の解消、住居の確保、家族ごとの保養助成など、原発 事故子ども・被災者支援法の具体化をはかります。 日本の空家率は年々上昇しており、13.1%、5759 万戸もの空家があります(2008 年時点)。また、耕作 放棄地の面積も上昇傾向を示し、約40 万ha の農地が使われずにいます(2010 年時点)。これら使われて いない住宅や農地を高汚染地域からの避難・移住のために活用すべきだと考えます。
2)全原発の即時停止と課題解決の追及 原発再稼働問題は、電力が足りるかどうかの問題ではなく、立地地域の経済・雇用問題、電力会社・大 企業の経営問題であることが分かりました。これら影響が出る地域や主体との建設的な議論を通じて、 互いがウィンウィンとなる解決策を模索します。
3)世界の緑の党との連携による全原発の廃止 原発を保有する40 ヶ国のうち、約30 ヶ国に緑の党(勢力)が存在しています。言い換えると、緑の党 は世界に602 基ある原発のうち517 基に影響力を持っていることになります。また日本がウランを輸入 しているオーストラリアやカナダの緑の党は国政に影響力を持つ存在になっています。これら世界の緑 の党との連携で世界の原発廃止を追及していきたいと思います。
【2】スローライフへの転換(ダウンシフト)
1)勝っても負けても幸せになれない「競争」から降りる権利を 現在「勝ち組」と呼ばれる人は、業績アップを課されリストラの不安に苛まれながら、サービス残業や長時間労働を強いられています。一方「負け組」と呼ばれる人も、生活保護以下の賃金で働くことを強いられています。勝っても負けても、うつ病・自殺・過労死に追いやられ、家族や社会に大きな不幸をもたらしています。「勝ち組」も「負け組」も1%の人に搾取されている99%なのです。この「競争」から降りるためにも、ワークシェアリング、人材と仕事とのマッチング、スモールビジネス支援、労働時間の短縮(週休3日を目指す)を進め、ベーシックインカムの実現可能性を探ります。
2)半農半X の奨励 私は3 年前から米づくりの手伝いをしています。また、家族が家庭菜園で野菜を作っているので、米や 野菜をほとんど買わずに暮らせています。遺伝子組替作物、農薬、除草剤、放射能など、食べ物にまつわ る心配事のほとんどは、自らつくることで改善することができます。農業で生計を立てることは困難で すが、自分の食べ物を自分で作ることは、精神的にも家計的にもメリットが多いと考えます。 半農半X といって、労働の半分を自分の食料生産にあて、もう半分を現金収入のためにあてるライフス タイルが広がりつつあります。前述のとおり日本には住宅や農地が余っています。住宅や農地の所有者 と利用者とのマッチングを推進して、希望する人が半農半X を実現できる社会をつくりたいと思います。
【3】政治のしくみの民主化
1)巡業国会(仮称) 原発、基地、ダムなど案件の現場から遠く、放射線量の高い東京で国会を開催し続けるのはナンセンス です。北海道、中部、関西、四国、九州、沖縄など比較的線量の低い地域を巡り、懸案となっている問 題の近くで国会を開催する「巡業国会」を提案します。また、子育て・闘病・介護をしている国会議員も国会に参加ができるよう、インターネット参加を認めることを提案します。
2)国民発議権(市民発議権)の確立 スイスには一定の署名を集めることで国会や憲法改正への発案が可能となる「国民発議権」があります。 日本には国民投票権はありますが、国民投票を求める署名を集めても議会で否決されてしまうと国民投 票は実施されません。政治参加の権利として、国会に発議できる国民発議権、自治体議会に発議できる 市民発議権の確立が必要です。
・経歴
1974 年6 月10 日 神戸市のニュータウンに生まれる(農村出身の両親がつくる自家製野菜で育つ)
1975-1980年(1-6歳)神戸市立からと保育所(スカートを着た記憶がない。男の子に間違われる日々)
1981-1986年(7-12歳)有野東小学校(自宅前の山が開発され「これでいいんだろか?」と漠然な不安)
1987-1989年(13-15歳)有馬中学校(優等生を演じようとしていた日々、テストの度に胃炎になる)
1990-1992年(16-18歳)兵庫高等学校(進学校で落ちこぼれ、美術部と生徒会活動に逃避の日々)
1993-1995年(19-20歳)大学受験生(予備校で元学生運動家や哲学者の先生と出会い、視野が広がる)
1995年1月17日(20歳)阪神淡路大震災(すべての「モノ」がリスク、命を救うのは「人」と実感)
1995-1998年(20-24歳)神戸市外国語大学第2学部(エコ・リーグ(全国青年環境連盟)の西日本ブロック代表)
1999-2002年(25-28歳)ひのでやエコライフ研究所勤務(京都でルームシェアをしながら自転車通勤)
2003年4月(28歳)神戸空港の是非を問う住民投票条例制定請求があっけなく市議会で否決されたことに 憤慨し、神戸市議選(長田区)に神戸空港反対とみどりの政治を掲げて立候補。結果は次点落選。
2003-2009年(29-35歳)神戸市議会市民派会派で政務調査スタッフをしながら「みどり・ひょうご」「みどり関西」「みどりの未来」の活動や運営に携わる。 (2005年、APGNアジア太平洋みどりの国際会議スタッフ。2006年に男子出産)
2010年9月(36歳)尼崎市長選 稲村和美選挙スタッフ(稲村市長誕生!)
2011年-2012年7月末(37歳)みどりの未来共同代表(日本初の原発輸出である台湾第四原発の反対運動に取り組んでいる矢先に、3.11福島原発事故が発生し自身の活動の足りなさを痛感)
2012年10月(38歳)現在、緑の党運営委員、みどり関西運営委員、緑の党・ひょうご(仮称)準備会呼びかけ人、環境政策コンサルタント自営業、米作り修行3 年目。健康状態良好。
杉原浩司
フリガナ:スギハラ コウジ
1965年11月19日生(満46歳)
男性
東京都大田区
携帯電話:090-6185-4407
FAX番号:03-5711-6478
kojis[a]agate.plala.or.jp
私の主権を行使する~第一次予備選挙・立候補にあたって 杉原浩司
1. 決意
10月5日に行われた原子力規制庁との初交渉で、原子力規制委員会に対する市民側の質問書を規制庁がブロックして、委員に見せぬまま勝手に回答していたことが明らかになりました。脱原発の民意をないがしろにして、使用済み核燃料の再処理の継続や大間原発の建設再開など、「原子力ムラ」の利害を優先する流れが強まっています。その根底に、「3・11」の東京電力福島第一原発事故以降も変わらない「主権在官」の惨状があります。
私は、振り返ると80年代半ば以来、市民運動を続け、プラスマイナス、様々な経験を重ねてきました。抗議の意志を表現するアクション、後退しながらも最悪の結果を避けるためのロビイング、市民が原案を書き、議員と共に法律を作る「市民=議員立法」運動など形は多様です。「3・11」以降は、こだわってきた軍縮・平和運動をとりあえず脇に置いて、脱原発、再稼働反対の取り組みに力を注いできました。それが、日本社会を根本的に変える機会にもなり得ると確信したからです。今まで培ってきた経験や発想などを最大限活かそうと努力してきたつもりです。
しかし、永田町と霞ヶ関には今なおぶ厚い壁がそびえています。東京電力や政府による犯罪が放置され、最大の加害政党である自民党の無責任な政権復帰さえ予想される中で、市民運動、NGOには、思い切った飛躍が求められているのではないでしょうか。民意との乖離を埋める意志と手段が切実に求められています。このままでは、最低限の参政権である一票の権利さえ放棄する人々が増え、「おまかせ民主主義」さえ成立しない危険な状況が到来しかねません。
こうした中で、緑の党の責任と役割は極めて重大であり、あえて言えば、失敗は許されないとさえ思います。既成政党が作り出してしまった政治、政党、政治家への嫌悪や諦めを払しょくし、政治文化そのものを大胆に変えていきながら、脱原発をはじめとする重要課題に確かな結果を出していかなければなりません。
私は専門家でもなく、未熟なところも多い一人の人間です。ただ、市民運動の中でいろんな人に出会い、様々な場面をくぐってきた者として、自分の経験や発想の中に、国会の場や緑の党の中で活かせる部分があると思っています。そして、自分たちの願いを実現するためには、「おまかせ民主主義」を超えて、市民運動やNGOなどの活動家自身が国会の場に乗り込んでいくことが不可欠だと確信しています。私は、そのための呼び水にもなりたいと思います。同時に、緑の党のみならず、市民運動やNGOの仲間たちとの協働作業としての国会活動を実現したいとも考えます。
参院選が行われる2013年7月は、ちょうど原子力規制委員会が原発の安全基準を策定する時期と重なります。再稼働を許すのか、原発ゼロを確定させるのかの、決定的な岐路となります。参院選への挑戦と脱原発運動とを連動させ、今回の予備選での活動自身が、脱原発や主権在民に向けた流れを前に進めるものとなるように、心して取り組みたいと思います。へこたれなさと、したたかさと、おおらかさを持ちながら。
2. 実現したい政策。こだわり政策。
1)原発ゼロはシナリオではなく現実です
・「予防原則」に基づき、避難基準20ミリシーベルト(年)を見直し、雇用・住まい・家族・コミュニティを保障する避難政策を実現する。廃炉・除染労働者の安全確保と権利保障を強化する。
・大飯を停止、再稼働許さず、原発ゼロを確定。即時ゼロをもたらす脱原発法で原子力から撤退。
・「原子力ムラ」を徹底的に解体し、処罰も含めて東電福島第一原発事故の責任を取らせる。
・原子力規制委員会、原子力規制庁を人事を含め抜本的に見直し、実質的に廃炉委員会とする。
・自治体の原発依存からの脱却と省エネ・再生可能エネルギーの拡大を促進。原発輸出の撤回。
2)「主権在官」から「主権在民」へ~「おまかせ民主主義」を超える
・参政権を奪う異常に高額な供託金制度の廃止。小選挙区制の廃止。議員定数を削減させない。
・恣意的な審議会政治の根本的な見直し。
・市民=議員立法(市民が原案を作り議員と共に練り上げ法制化)の促進。
・熟議を踏まえた住民投票、国民投票制度など直接民主主義的制度の確立。
・不当なデモ規制の撤廃。警察の民主化。
・官僚のリコール制、代理質疑制度(議員が質問時間の一部を研究者、NGO等に譲る)の検討。
3)既成政党とは根本的に異なる新しい政治文化を提示する
・「センセイ」よさらば。国会議員は偉くない。仲間としての議員へ。
・NGO、市民活動家が国会に乗り込むことが当たり前となるような流れをつくる。
・「男の園」よさようなら。永田町と霞ヶ関に多様性を確保する。
・現場と共にあり、非暴力直接行動を共にできる議員へ。
・国会に存在する不合理、不正な仕組みをどんどん改廃。
・「グローバルに考えローカルに行動」し「ローカルに考えグローバルに行動」する議員、政党へ。
4)東アジア非核・脱原発・脱軍事化地帯を目指す
・領土問題の平和的解決(共同管理、共同保全へ)。
・オスプレイ配備撤回。沖縄などの在日米軍基地の撤廃。日米安保条約を平和友好条約に。
・ミサイル防衛からの撤退。軍需産業の平和産業への軍民転換。「軍事力ムラ」の解体。
・武器輸出禁止三原則、非核三原則、宇宙の平和利用原則の再確立と法制化、世界化。
5)その他
・歩行者、自転車優先の街づくり。危険な通学路などの改修。公共交通の充実。
・被災者生活再建支援法の抜本的拡充。
・非正規雇用労働者の権利保障。建設労働者等の週休2日制の確立。
・生活保護法を充実させて生活保障法に。
・低家賃の公営住宅の増設。
・夏休み、冬休みをゆったりと。労働時間短縮とワークシェアリングの促進。
・文部(科学)省の解体。
・身を守り、生きていくための権利教育の推進。
・夕方国会の開催。閣議の傍聴の実現。
3. 経歴など(健康状態は良好)
・1965年、鳥取県生まれ。兼業農家で育つ。大学の教員養成課程に進むも、その後中退。
・80年代半ばから京都にて反戦・反開発・反差別などの市民・住民運動に参加。
・90年代前半より、東京等で反戦・軍縮等の市民運動に参加。PKO法反対や仏・中・米の核実験反対、故・小田実さんら阪神大震災被災者による住宅再建への公費支給を求める「市民=議員立法」運動、ミサイル防衛反対運動等に参加。『宇宙開発戦争』(作品社)に日本語版解説を執筆。
・2000年代より、みどりのテーブル、みどりの未来に参加。建築関係で10数年働くも不当解雇、労組に加入し一定の解決。11年7月よりみどりの未来・脱原発担当、緑の党結成準備委員も経て、緑の党・脱原発担当。福島原発事故緊急会議、eシフト、再稼働反対!全国アクションにも参加。
・NHKのテレビドラマ『ハゲタカ』『クライマーズ・ハイ』を愛する。紙媒体の収集癖が悪いクセ。
すぐろ奈緒
フリガナ:スグロ ナオ
1979年4月28日生(満33歳)
女性
東京都杉並区
http://naosuguro.blog135.fc2.com/
■立候補の決意
私が「緑の党」の存在を初めて知ったのは8年程前。当時、日本はアメリカのイラク攻撃に加担し、有事法制などの戦争法案を次々と成立させていました。国民不在で、一部の政治家、官僚、経済界の人々に決定権が委ねられている実態は、福島原発事故への政府の対応に象徴されるように、8年経った現在も全く変わっていません。
私はこの間「日本になんとしても緑の党を誕生させたい」その一心でこれまでみなさんと共に活動を重ねてきました。同時に「緑の党の理念を身近な基礎自治体から実現したい」との思いから、5年前から杉並区議会議員として活動してきました。当選当初から、原発に依存しないエネルギー社会をつくることをめざし、再生可能エネルギーや環境配慮の施策を促進させてきました。また、生活困窮者に対する支援にも力を入れ、湯浅誠さん(NPO法人「もやい」理事)が提唱したパーソナルサポート(個別支援)サービスの制度を実現することもできました。生活保護の受給者数は杉並区においても10年前と比較して2倍以上に膨れ上がっています。特に子どもの貧困、母子家庭は深刻であり、国における「生きるための保障」が不十分であることを痛切に感じてきました。他にも、前区長時代は、偏ったイデオロギーに基づく教育基本条例の制定を阻止し、教科書採択では「つくる会」教科書を薦めた教育委員の任命には反対を表明。行政委員の報酬問題など行政の無駄遣いを追及した質問は、新聞等で取り上げられました。
これらの問題は全て国政と連動しています。
現在、既成政党である民主党や自民党、第三極として登場したみんなの党や日本維新の会は、「自立する個人」を理念に掲げるなど、共通して、自己責任論の立場を明確にしています。社会保障費削減、生活保護の有期化、解雇規制の緩和など新自由主義路線を加速させると同時に、憲法9条の「改正」を志向し、日米同盟を基軸とした軍事力の強化をめざしています。今後も経済成長至上主義を押し進める限り、戦争、環境破壊、格差貧困、原発などの問題を絶つ事はできません。
政権交代と3.11を経て、人々の政治への不信は一層高まり、有権者の選択肢が失われています。この時期に緑の党が国政に登場する意義は大変大きく、その責任を果たさねばとの強い思いから、この度立候補を決意いたしました。
私は、将来、必ず緑の党が日本の政治において重要なポジションを占める時がくるものと確信しています。そして、脱原発、平和、公正な社会に向かって世界を牽引していく。そのための礎をつくることが今の時代を生きる私たちの役割であると考えています。 これまで活動してきた市民運動と区議会議員の経験を生かし、緑の党の政策実現に向けて全力を尽くします。ご支持ご支援の程よろしくお願い申し上げます。
すぐろ奈緒
■ 政策(とくに関心の高い政策、実現したい政策など)
【脱原発】全ての原発を即時廃止し、省エネと再生可能エネルギーを促進する
・ 地域経済につながる分散型のエネルギー創出を進める
・ 福島原発事故に関わる避難の権利を保障し、放射線被ばく者および被ばく労働者に対する医療と健康管理を徹底する
・ 日本の原発を即時廃止し、国際的な原発の安全保障体制をつくる
・ 高レベル性廃棄物の安全な最終処分を世界共通の課題と位置づけ、グローバルグリーンズを生かした国際的な枠組みをつくり、戦略を検討する。
【子ども・教育】子どもの権利を守り、子どもの自主性を尊重する教育をめざす
・ 「子どもの貧困」を解消するための福祉・社会制度の見直しをはかる
・ いじめや虐待など暴力から子どもを守るしくみ(相談体制、CAP導入など)を整備する
・ 大人が一方的に押し付ける教育ではなく、子どもが自ら学ぶ教育へ移行する。また、国が認める学校以外にも、多様な教育の場を認め、経済的な負担なく選択できる新たな制度を創る
【平和】非暴力・平和の姿勢を示し、世界に発信
・ 憲法9条を堅持し、軍縮を進める
・ 北東アジアにおける各国の相互理解と信頼を深める
・ 沖縄の在日米軍基地の返還を求め、新基地建設は認めない
■プロフィール
1979年 誕生。幼少期は東京都足立区で育つ。7歳〜栃木市へ
1993年 14歳:栃木市の水源地で産業廃棄物処分場計画が持ち上がり、学校や地域 で署名活動に奔走。最終的に計画は撤回。
2002年〜 イラク反戦「WORLD PEACE NOW」に参加。以降、有事法制など戦争法案に反対する活動を継続。劣化ウラン禁止(NO DU)キャンペーンにも取り組む。脱原発活動を開始。
2003年 東洋大学法学部卒業 在学中は、少年法から子どもの問題を考える「子どもと法21」に参加し、人権や教育問題を学ぶ。
2004年「教科書ネット21」主催の日韓交流キャンプに参加し、ナヌムの家やソデムン刑務所を訪れる。また、中国残留邦人、ヒロシマ・ナガサキ被爆者、元日本兵、ひめゆり部隊など様々な戦争体験者と出会い戦争の実態と戦後補償問題を学ぶ。
2004年〜2006年 参議院選挙で「みどりの会議」小林一朗氏を支援。
「みどりのテーブル」に入会
NGO「フォーラム平和・人権・環境」勤務(辺野古基地問題や六ヶ所村再処理工場、横須賀の原子力空母など、各地の平和や原発関連の市民運動と連携して活動) 週1日は障害者ヘルパーの仕事も兼務し、担当していた方と一緒に「障害者自立支援法」について学び、法制化に反対するデモや集会にも参加。
2004〜2007年「教育基本法の改悪を止めよう!全国連絡会」運営委員をつとめる
2005年2月 「アジア太平洋みどりの京都会議」参加
2007年 杉並区議会議員 当選
2008年 「グローバルグリーンズ第二回 ブラジル・サンパウロ」参加
コスタリカ共和国を視察。人権・平和・環境への先進的な取り組みを学ぶ。
2010年 「みどりの未来」共同代表に就任
2011年 杉並区議会議員 2期目当選 2012年 「緑の党」共同代表に就任
■健康状態:特に問題はありません。
【お問い合わせ先】
緑の党 候補者選定委員会
Email greens@greens.gr.jp / FAX 03-3318-6063
*件名または本文最上部に「候補者選定委員会宛」と明記ください。
TEL 03-6454-6068