【世界のみどり】ヤング・グリーンズCOP26レポート

数百人の死者をよそに「カンマの位置」を議論

ヤング・グリーンズ3人がグラスゴーCOP26で見たもの

2021年12月3日 ポール・ヘラード

「ここでは既に気候変動の被害がいろんな形で現れています。気候変動は北側の豊かな国々が引き起こしたものです」とジャンメジャイ・ティワリは話す。この騒がしいインターネットカフェのあるインド北部では、気候変動の被害が誰の目にも明らかなのだ。J.ティワリはヤング・グリーンズの仲間とともに参加したグラスゴーのCOP26から帰国したばかりだ。「南側諸国の声を前面に押し出すのが私たちグローバル・ヤング・グリーンズの使命です。COPが目的なのではありません」という彼は、出発前よりずっとアイディアもエネルギーも高まった様子だ。

グローバル・ヤング・グリーンズにとって今回のCOPは初参加だ。しかしグラスゴーまでには障壁がたくさんあった。ビザ申請の面接、航空券、COVID-19検査、自己隔離、警備のバリケードなどを克服して会場周辺にまでたどりついたグリーンズは13人ほどだ。会議への参加資格はそれぞれ違っている。J.ティワリはグローバル・ヤング・グリーンズの代表団オブザーバーとして、またスニグダ・ティワリはグローバル・グリーンズの代表団オブザーバーである。アヤ・アブドゥニーはレバノンを代表して同時に開催していたオルタナティブCOP会議に参加するために訪英した。オルタナティブCOP会議はヤング・ヨーロピアン・グリーンズ連盟が提唱している新しいCOP会議だ。

英国貴族院議員ナタリー・ベネット(向かって右)とS.ティワリ

 

 

 

 

 

 

 

インドの最北部、デリケートなヒマラヤ山脈に近い地域では「気候変動の影響がまさに目の前で起きています」と話すのは現地に住むS.ティワリだ。「将来のことではありません、すでに現実なのです。COP26への代表団募集があったとき、すぐに応募しました。私は大学の早い時期に社会正義を求める運動に加わりました。その後2017年から地元でいろいろなグリーンズの政治運動にも参加しています。アジア太平洋緑の党連盟を通じてインドのこの地域を代弁する機会もありました。ヒマラヤに近い地域では氷河の崩壊で洪水が起きているし、その規模も大きくなってきています。でもこれは天災ではありません。政府の政策が引き起こした人災です。」

「アジア太平洋地域はいろいろな文化や社会や政治体制があって、人々にグリーンな発想を広げるためにも、グリーンな若者の信頼を得るためにも、私たちの活動には後押しが必要なのです」とアブドゥニーは話す。「レバノンでも同じことで、グリーンな考えの人はたくさんいるけれど、世界に仲間がいることはまだ知られていません。未来を作るのは若者ですが、もっと大事なことは、若者は今の存在でもあるのです。若者は政治の分野から疎外されがちですが、もっと政治に参加するべきです。なぜなら、これまでにないほど変革が重要になっているからです。」


COP26はどうだったのか


これも書かないわけにはいかないだろう。このような激しい対立が予想されるイベントの開催は開催都市にとっても大仕事だ。バリケードが置かれ、道路は閉鎖される。どの会場に入ろうにも時間がかかり長い行列ができる。COP26のようなイベントがCOVID-19のスーパースプレッダーにならないためでもあるが、交渉が進められている会場へオブザーバーはほとんど参加できなかった。

開催期間の最初の週末にはグラスゴーでも世界気候マーチが行われ25万人が参加した。交渉最終日には、会場から事実上締め出されてしまったオブザーバーに連帯するため、たくさんのオブザーバーが会場を離れて街頭のデモに加わった。

S.ティワリは代表団の調整という大役も積極的に取り組んだが、COPの会場は多くのゾーンに分けられ、代表団が入れるゾーンは一部だけだった。「代表団やオブザーバーを排除するために規則を作ったと思うほどです。参加する必要のあるところに入れないのです。オブザーバーの行動はひどく制約されていて、1万人に対して入場証は4枚だけでした。たったの4枚ですよ。」

COVIDの対策で会場に入れる人数は制限され、建物の外にできる長蛇の列は日常風景だった。「会場内で参加できた全体会議は、もちろん印象的でした」とS.ティワリ
は話す。弁護士として「どの単語も1個の句読点も重要なことはわかっています。でも、参加したパリ協定6条の会場では小さなコンマを入れようとする国を別の国が止めようとしていました。小さい旗を立てて、ほんの小さい変更を提案する様子はとても印象深いものでした。そうやって文章いじりの論戦を張っている間に鉄砲水で何百人も亡くなっているのです。この論戦が今日やるべきことのために役立つのかと問わずにはいられません。」

グラスゴーでは毎日のようにデモが行われていた。屋内でも屋外でも、騒がしい行列も、時にはパーティーのような雰囲気も、もちろん真剣なデモも。フライデー・フォー・フューチャー、世界気候マーチ、それに女性の日があり若者の日があり、これらのどれにもグローバル・ヤング・グリーンズが結集して一連の長い要求を掲げ、世界に向けて声を上げた。

【写真↑】COP26の期間中、気候変動の正義を求めて行進する数千人のデモ。
写真提供
: Chris McFayden

COP26は終了直前に協定が骨抜きにされるという残念な結果だったが、この路線はグラスゴー会議の開始前から敷かれていたという。J.ティワリは「代表団の一番乗りがグラスゴーに来る前にはもうインドが2070年までの、中国は2060までのネットゼロを約束すると言っていました。会議中にこの方針から離れられなかったのです」と振り返る。インドの環境大臣と40分の会談に成功したとき、J.ティワリもS.ティワリも事態が進行中だったことにすぐに気づいたとS.ティワリとアブドゥニーは指摘する。「COP会議での勢いを学生や活動家に伝え、先へ進むのです。私たちが声を上げ要求をはっきりと伝えれば他の活動家を勇気づけるし、気候変動が地球規模の課題なのだと主張できるようになります。要求を実行できない政治家はだれも支持しません。私たちが生き残るために世界規模で進む方向は、もうわかっているのです」とS.ティワリは強調する。

次のステップ
アブドゥニー(←写真)はグラスゴーからレバノンにたくさんの志望を持ち帰った。その中にCOPへの関心を高める活動も含まれる。「アジア太平洋地域は気候変動の影響がとても大きいところです。でも未来のことに思いを寄せられるような余裕がなく、家族が今を生き延びるのが精一杯という人たちもたくさんいます。家族どころか自分が生き延びなければいけないときに、家族より遠い人々を想像できるでしょうか。」

 

 

「このプログラムで出会ったヤング・ヨーロピアン・グリーンズのエネルギーから刺激を受けました。仕事がとても効率的なのです。それは進歩的な発想や若者を信頼する社会の中で活動しているからだと思います。持続可能で公平な世界を目指すために団結したコミュニティが受け入れられているのです。」

J.ティワリも「ヨーロッパや南米の緑の党では若者の政治的強さを発揮するように協力してきた伝統があります。私は地域レベルで若者の運動を活発化してそれが他国での運動と協調することで気候正義への闘いにつなげようと思っています。グローバル・グリーンズやグローバル・ヤング・グリーンズといったネットワークがあるので、道筋ははっきりしてきました。そして、若者や疎外されている人たちにも政策決定に参加してほしいのです。若者が単なる看板でなく、若者も将来に対して道義的にも倫理的にも責任があるのです」と強調する。

もはや世界の若者は「未来だけでなく私たちこそ現在でもあるのです。若者は今こそ活動しなければなりません。それは選択肢ではないのです」とアブドゥニーは強調した。


【写真↑】ケニア、インド、ドイツ、スコットランドの若手活動家による「気候危機に対抗するためのコミュニティ形成」のパネル討論。欧州議会議員(MEP)で欧州緑の党の共同議長であるトーマス・ワイツが司会を務めた。


【写真↑】ヤング・ヨーロピアン・グリーンズ連盟が主催した2021年オルタナティブCOP会議の参加者


(翻訳 緑の党国際部)

<原文>

“BICKERING OVER PUNCTUATION WHILE HUNDREDS DIE”: THREE YOUNG GREENS’ EXPERIENCE OF COP26 IN GLASGOW

https://asiapacificgreens.org/news_statement/bickering-over-punctuation-while-hundreds-die-three-young-greens-experience-of-cop26-in-glasgow/