【世界のみどり】APGFスタディツアー レポート

5月16日~24日、オーストラリアのシドニーにて開催されたAPGF(アジア太平洋緑の党連盟)スタディツアーに参加した塚本仁希からのレポート

 

サーフボードと駆逐艦
~オーストラリアで感じた自由で屈しないGreens精神~

 

塚本仁希(緑の党会員)


今年の5月、緑の党グリーンズジャパン参加者としてAPGFスタディツアーに初参加してきた。
シドニーから飛行機で3時間半離れているニュージーランド・オークランドに小学3年生の時から15年間暮らし、現地の大学に通っていたが、もともと環境や人権問題に興味を持っていたのもあり、経済発展より平等な社会に重点を置くNZ Green Partyを支持することは自分にとって検討する必要もないほど自然な選択肢だった。
かと言って日本の緑の党会員になってからまだ日も知識も浅い自分にAPGFツアー参加なんか務まるのか...淡い不安を抱きつつも、「とにかく行って見てきてください!」と国際部長のなみほさんに背中を押されて出発した。

西はレバノンから東はソロモン諸島まで、これまで以上にさらに域が広がったアジア太平洋ネットワークから集結した20数名の参加者と共に非常に濃い10日間を過ごした。ツアー企画当初は2週間の日程だったらしいが、それはあまりにも厳しすぎるのでなんとか削りに削って10日間に収めたらしい。

ニューサウスウェールズ州議会で緑の党の上院議員から女性問題に関するレクチャーを受ける参加者たち

ニューサウスウェールズ州議会で緑の党の上院議員から女性問題に関するレクチャーを受ける参加者たち



現地から発信していたTwitterを見てくださった方ならお分かりになると思うが、みなさんとにかくハツラツとしていて元気元気。朝から夕方まで議員や候補者などのプレゼンなどを聞き、質疑応答や意見交換などを重ねる。徒歩か電車かバスで市内を移動する。滞在期間の中盤から熱を出してしまった自分が恥ずかしなるくらい、みんなとにかく毎日朝から夜まで動きまわり、笑い、ホテルに戻ってからも酒を飲みながら議論を交わしたりしていた。
(具合が悪いならウォッカを飲みなさい!と私の体調不良を見かねたモンゴル緑の党のバヤルに半ば強引にすすめられたモンゴル産ウォッカを二杯もぐい呑みしてしまったが、次の朝には見事に回復していた。モンゴルおそるべし...)

初日はフェリーに40分ほど揺られてマンリーという海辺の町へ。月曜の午後だというのにビーチには様々な人が散歩やスポーツを楽しんでいた。その日はビーチサイドのカフェテラスで7月2日の総選挙にニューサウスウェールズ州からGreens候補として立候補しているマイク・ホールと、24歳で既に2度目の立候補となるクララ・ウィリアムズ・ロルダンを交えて昼食会に参加後、2人から選挙戦略などについて話を聞いた。

シドニー市郊外マンリーにて、24歳にして2度目の選挙にチャレンジするクララ(中央)に話を聞く塚本(右)

シドニー市郊外マンリーにて、24歳にして2度目の選挙にチャレンジするクララ(中央)に話を聞く塚本(右)


初日から気になっていたのが、公式な場でトークを始める前に「国への謝辞(Acknowledgement of Country)」という短い挨拶の言葉を述べる人が多かったことだ。
“I would like to show my respect and acknowledge the traditional custodians of this land, of elders past and present.” (「この地の由緒正しい守り人達、過去そして現在の長たちに敬意の念を示します。」)と述べてから自分なりのアレンジをかける人も多かった。聞いてみると、一般的に使われる言葉でもないそうだが朝礼などで発言する学校もあると言う。他人の土地を奪った植民者の末裔である事、あるいはその恩恵からこの国に住めている事を自覚して過去の行いと向き合い、表面的な和解ではなく平等な社会を築くための重要な一歩なのだろう。このことに対して国民の間でも少しずつ問題提起の意識が広まってきており、Greensのホームページでも建国記念日にあたるオーストラリア・デイをインベージョン・デイ(侵略の日)と呼んでいる。

質疑応答の時間になると何度かファシリテーターのミシェルからコールが上がる。
「男性の質問者が多すぎます。次は女性に質問してもらいましょう」 男女の数が同等な場であるにもかかわらず、ファシリテーターが働きかけなければ発言や質問は圧倒的に男性からの方が自然に多くなる傾向があるのだという。このような場でもグリーンズのジェンダーバランスの平等性を守る確固な姿勢が見受けられた。

バイロン・ベイでは20年以上にわたって環境保護・反原発運動に専念してきた元州上院議員イアン・コーヘンからNSW州の社会運動の歴史や文化について話を聞いた。彼は1986年にシドニー港に入港する米国駆逐艦の行路をサーフボードにまたぎながら妨害する写真で世界中から注目を集めた人物だ。文字通り体を張り、ときには市民的不服従や器物破損も厭わないスタイルで活動してきた彼の逮捕歴が30回以上というのも納得してしまう。 (詳しくはインターネットから無料でダウンロードできる彼の著書『Green Fire』(英文)をどうぞ)

「『予算不足だからできない』と考えていては想像力が満たされない」と話すイアンが資金も資源もないまま体当たりで社会の改善に挑んできた時代の話には感銘を受けた。
「この国は、この州はいま、民主主義が脅かされる時代に置かれている。しかし人々はそれが奪われつつあることに未だ完全に気づいていないんだ」 まるで日本の現状を語っているかのように聞こえた。おそらく自国を思い起こした参加者もいたのではないだろうか。

緑の党が市長を輩出しているバイロン・ベイ市のコミュニティ・センターで、米国駆逐艦の行路をサーフボードにまたぎながら妨害する写真で世界中から注目を集めたイアン・コーヘン元上院議員(中央)は「お金がないことを言い訳にしてはいけない」と力説

緑の党が市長を輩出しているバイロン・ベイ市のコミュニティ・センターで、米国駆逐艦の行路をサーフボードにまたぎながら妨害する写真で世界中から注目を集めたイアン・コーヘン元上院議員(中央)は「お金がないことを言い訳にしてはいけない」と力説


バイロン・ベイから車で一時間半のナイトキャップ国立公園に向かい、広大な多雨林を歩きぬけると高さ30メートルほどの滝と遭遇する。プロテスターズ・フォールズ(抗議者たちの滝)は1979年に森林伐採に反対する環境保護活動家たち300人ほどが1か月間森を占拠した抗議活動からそう名付けられたそうだ。樹齢300年の紅膠木やユーカリをはじめ、数多くの絶滅危惧種が生息しているこの守を守るためミシェルやイアンもこの運動に参加しており、伐採を免れた森は今では保護地となり、ユネスコ世界遺産に登録までされている。オーストラリアで初めて伐採反対運動が勝利した時の事だ。

トークセッションが全て終わり、夕食までの時間町をぶらぶら歩いているとドラムやトランペットの音が聞こえてきた。誘われるようにビーチに向かうと、夕暮れの駐車場で20人ほどの男女が潮風の中で踊っていた。まるでフェスのような解放感だが、ほぼ毎晩ここでダンスパーティーが行われるそうだ。トライバルなビートとトランペットの軽やかな音色に合わせて思い思いのスタイルで自由に踊る若者たちに見とれながら、個人それぞれの表現がこんな風に容認されているバイロン・ベイが国内一のグリーンズ拠点であることと合点がいった。沈みゆく夕日に目を凝らすと砂浜には(あと数時間もすれば潮が満ちて消えてしまうだろうに)誰が描いたのか、巨大で美しい曼荼羅模様がいくつも連なっているのが見えた。

ケープバイロンの灯台から見下ろす沖には大きな岩が3つそびえ立っている。この海で溺れ死んでしまい、長老たちに岩に変えられた三姉妹の姿だということだ。そんな言い伝えを聞かせてくれたのは2万2千年以上前からこの地に住み続けてきたとされているアラクワル族の母親とヨーロッパ系移民白人の父親の間に生まれたガイド、デルタ・ケイ。子供におとぎ話を聞かせるようなやわらかくも確固とした口調で自分の母親の子供時代の話やアボリジニ・ピープル(ファースト・オーストラリアンズとも呼ばれる)の歴史について話してくれた。母の家族が植民者に土地を追い出されたが入江の近くに移ることで毎日十分な食糧を自給自足できたこと。兄弟の中で比較的肌が白かった母が豪州政府役員に合法的に拉致され、白人文化への同化教育を強要されたこと...
もともと文字を持たないアボリジニ・ピープルにとってストーリーテリングは単なるおとぎ話や文化継承だけではなく、自分たちの歴史や教訓、そしてアイデンティティを引き継ぐための大事なライフスキルなのだ。溺れて石に変わってしまった3人の姉妹たちも、5万人から10万人と憶測される「盗まれた世代」のひとりだった母親も、気が遠くなるような大昔から継がれてきた伝統や儀式も、デルタにとっては同じストーリーのタペストリーの一部なのだろう。
一度は先祖から奪われた土地で白人と協力して働くことについてどう感じるか聞かれると、「先祖代々の地でガイドとして働けることを誇りに思っています。この土地の話は私のような人間が伝えなければならないから」と答えてくれた。

今回のスタディツアーでは各国参加者が15分間ほどのプレゼンを通して自国の現状を発表した。リッキーこと足立力也さんは日本の選挙システムと供託金問題に着目したが、「立候補するのに6万ドル??6千ドルの間違いでしょ?」と失笑される始末...海外の人に「絶対計算間違えてるでしょ?」と苦笑いされるほど日本の選挙システムがどれほど不当なフィールドでのプレイを――特に金もコネも少ない市民派候補に――強いているか改めて痛感した。

ウェーバリー地区議員アボリジニ・ピープル活動家のドミニク・ワイ・カナクが提案してくれた。「グローバル・グリーンズとしてグリーンズジャパンのための支援金カンパを募るのはどうだろう?」残念ながらそれも不可能な事だが、その応援の気持ちだけでもありがたいと思った。ドミニクは私達のツアーがシドニーに滞在している間ほぼ毎日合流していたが、必ず赤い土と黒い人間・黄色い太陽がつなげるイメージのアボリジニ・ピープルの旗のデザインのTシャツを着ていた。「White Australia has a Black History(白人中心オーストラリアの黒歴史)」のスローガンが胸に描かれたバージョンが登場することもあり、上からスーツジャケットを羽織ることもあるが、活動家・議員としての活動の場でもプライベートでも基本このシャツしか着ないんだとか。

今回、政党活動の経験も知識もほとんど持ち合わせないままツアーに参加した私が最も印象に残ったのはGreens会員・党員、アボリジニ・ピープル活動家達の長年にわたっても権力や不当な社会に屈しない精神力と信条、そしてアジア太平洋圏各地から集まった会員たち全員のおおらかな性格だった。

今回私をスタディツアーに推薦してくださった松本なみほさん、20人もの自由行動が耐えないはっちゃけたグリーニーズを10日間引率するという鬼激務を担当したにもかかわらず、一度もブチ切れることなく終始笑顔でテキパキとファシリテーションをこなし続けたオーストラリアGreensのミシェル。そして詳細はここでは敢えて割愛させていただく私の”飛行機乗り過ごし事件”を生温かい目で見守ってくださり、日々お世話になった足立力也さんに感謝を伝えたいと思います。


【参照】
リッキー&ニッキーによるAPGFツアー中のつぶやき 
https://twitter.com/greens_in_aus/media

世界のみどり:APGFスタディツアーがスタート
https://greens.gr.jp/world-news/17289/