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インタビュー:緑の政治を生きる

【インタビュー】すぐろ奈緒&清野和彦 vol.1 「僕たちはコピー用紙の一枚一枚を重ねて… 

2014/07/30

 「シリーズ:自治体議員が語る」では、さまざまな議員さんたちにご自身のことを語っていただきます。そのひとの人生の物語を通して、「市民派自治体議員という生き方」に触れることで、議員という仕事を少しでも多くのひとに身近に感じていただけたらと願っています。


 今年4月に故郷埼玉県秩父市議選に初挑戦、堂々の3位当選を果たした清野和彦さん、昨年まで杉並区議を二期務め、この夏からドイツに移住するすぐろ奈緒さん。二人は学生時代、同じ団体で反戦・平和運動などに関わっていました。

 2001年9月11日の世界貿易センタービル破壊事件を経てアフガニスタン紛争、自衛隊のイラク派兵へと推移していった当時の状況を振り返りつつ、その後今にいたる10年の道のりと、これからの展望について語っていただきました。

聴き手:石崎大望 緑の党広報部

 

【インタビュー】すぐろ奈緒&清野和彦 vol.1
「僕たちはコピー用紙の一枚一枚を重ねている」 

 

P4 清野 (7)  まずは秩父市議会お疲れさまでした。

清野  ありがとうございます。

石崎  二人は小林一朗さんの選挙(※1)の時に出会った?


すぐろ その前かな

清野   その前、イラク戦争反対のころから。小林一朗さんより前だよ。

すぐろ 2003年の、デモが活発に行われていた、あのワールドピースナウとかやってたころ。

清野 そうだ。僕が大学一年生だったんですよ。そのときに大学の中で知り合った人たちがいて。それがアジアンスパークという団体のメンバーで、そこににゃんこ(※2)もいて。

すぐろ そうだっけ?

清野  そう。もっち、しんじょん。まず大学の中で会った人が、アジスパのメンバー。そこににゃんこもいて、みたいな。

石崎  アジアンスパークっていうのはインカレのサークルみたいな?

清野  アジアンスパークってなんだろう?(笑)

すぐろ  (笑)

清野  NGO?(笑)


すぐろ1すぐろ NGOだったのかな。いまだに分からない(笑)
・・・アジスパはもともとはアフガン・プロジェクトという活動からスタートしたんだよね。9.・11のあと、米軍のアフガニスタン攻撃があって、現地の子どもたちに自分たちでできる支援ってなんだろう?って考えて。サッカーが好きなメンバーだったから、子どもたちにサッカーボールを届けて一緒に遊ぶということをやってた。

清野 そうそう。ワールドカップを届けよう!

すぐろ そう。ワールドカップを届けて笑顔を増やそう、子どもたちに。その活動をアジアンスパークという名前で始めてた。そんなアジスパで出会ったと。

清野 そこで踊りをつくる話があって。

すぐろ そうだね。そこで踊りの大好きなキヨが入ってきた(笑)

清野 踊って、歌って、イラク攻撃反対のパレードで盛り上げようってことになって。デモじゃなくてパレードにしようって。今では一般的になりつつあるけど。

すぐろ 当時は全然そんなことなくて。

清野 デモ、イコール、シュプレヒコールあげて、みたいな時代があったけど。「負けないぞ!」みたいな感じだったけど、パレードに変えていこうっていう。ピースパレード。ワールドピースナウとか、変えていこうって時期だったんだ。

すぐろ 今までのやり方だけじゃなくて、若い人、新しい人が参加しやすいような雰囲気をつくりたいよねってことになって。ロゴマークも若いひとたちの提案でハートマークになったんだけど、その過程で古くから市民運動やってきたひとたちと大激論があったなあ。


P3 ピースパレード2石崎 ワールドピースナウの話って、何かと耳にするよね。名前とか。「あれから始まりでさ」みたいな話を、よく。


清野 若者の政治参加っていうか。政治意識を広めていったりとか、政治的に行動することに垣根を下げていくことを当時から考えて、やって来たんだよね。

アジスパ集合写真1

 

すぐろ それと、実はもう1つ考えていたことがあったの。いかにお金と時間をかけずにマスコミを動かすかってこと。とにかく多くの国民が反対の声を上げるかが勝負だと思ってたから、アメリカが仕掛ける戦争に騙されないで!っていうメッセージを伝えなければって思って。報道されれば、一気に数百万人に伝えられる。それを狙おう!ってことで、奇抜なパフォーマンスをやることにしたんだよね。『戦争中毒』っていう本を広めるキャンペーンとか、アメリカを皮肉ったロックを流してブッシュのお面を被って全員で踊ったり、広島で6,000人で人文字をつくったりしたの。その甲斐あって、主要なテレビや新聞に何度も取りあげてもらえたんだよね。

 

P3 広島

2003年3月2日、広島市中区の中央公園に6000人が集結。NO DUは劣化ウラン弾禁止の意味。

 

清野 僕、すっごい覚えている話がある。

「自分たちはコピー用紙の一枚一枚を重ねている」って話。

すぐろ 私も覚えてる!

清野 覚えてるよね。

すぐろ 階段を一段、自分たちが生きている上でやれることは限られていて、長い歴史の時間軸の中では階段一段を上がることすらできないかもしれないけど、コピー用紙の紙一枚分でもいいから、よくしていくんだって気持ちで、自分たちのやれることをやろう、みたいなことを話してたよね。

清野 ほんと紙一枚一枚を重ねてるって言ってたよね。

すぐろ だから一気に変えられないかもしれないけど、でもわたしたちができることを重ねていくことで変わっていくんだよ。そういうことが大事だよねっていうのが私たちの意識で。その一つとして、若い人が参加しやすいっていう雰囲気をつくっていったんですね。

石崎 素敵な活動だね。そのまつたけとかしんじょんとかって人は、同じ学生さん?

すぐろ ちょっと上だった。

清野 ちょっと上。大学の職員だった。

石崎 (笑)そうだったの。まさかの。

清野 今回(※3)も応援に来てくれました。遠くから。しんじょんはホームページなんかもつくってくれたり。

石崎 これが当時の・・・2人ともあんま変わってないね(笑)

 

集合写真2

すぐろさん、後列左から三番目   清野さん前列右端




石崎 ところで、清野君は早稲田の政経だったよね。社会的、政治的な問題にかかわってて、そもそも関心があった?

清野 僕は高校の時にストリートミュージシャンやったんですね。そのときにいろいろな人に出会ったこともあって。だけど一番大きかったのは9・11があって。あのときに高校3年だったのかな。だけど、すーごいショックを受けてしまって。
その日の夜のことを覚えているんですけど、世界が、地球が動く音がしたんだよ。これから先、地球は前の世界に戻れないんじゃないかっていうくらいショックを受けて。やっぱり当時、早稲田に入ったやつって、9・11ですごく大きな影響を受けたっていう仲間が多かった。
それからなんでこういう暴力が起こるんだろうって考えるようになったのは確か。その奥には貧困問題があったりするんだなぁっていうのが、おぼろげに分かってきたころだったんだよね。

石崎 ストリートミュージシャン時代、9・11前はそんなに考えてなかった?

清野 そうだね。9・11前は考えてなかった。9・11前は何か自分を表現したいとか、世の中にぶつけたいとか。

でもアウシュビッツ収容所の写真集を小学校の時に読んだことがあって、そのときにすーごい深い衝撃を受けたことがあった。なんでこういうことが起こるんだろうっていうことを考えるようになったのは、すごい昔です。小学校の時。
    人間が人間として扱われないことが、なんで起こりうるんだろうっていうのが、10代のころにあったのかな。

 
 第二話 「あなたはなんで花が咲くか知っていますか?」  につづく

※1 2004年の参議院議員選挙。
小林一朗さんは2002年に設立された環境政党「みどりの会議」の比例候補者

※2 すぐろさんのニックネーム

※3 4月に行われた秩父市議選

 

 

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